[未校訂]37 福井地震
嘉永七年(安政元年・一八五四)六月(ママ)三日
『続片聾記』や『敦賀西村家記録』などによれば、福
井地震と名づけ「三日から地震始まり、四日には、朝の
四ツ前(一〇時)にグラッと大地震に強襲され、五日には、
またまた余程の地震あり、その後、引続き地震の儀は数
日に及べり」とあって、更に、次の記録もある。
「城内の櫓及び塀など大破、壁落ち、石垣ふくらむ、
木田組は家一軒・土蔵一ヶ所。本組(本町組か)、家一ヶ
所。京町組、家一軒・土蔵一ヶ所・小屋四ヶ所。下呉服
町組、家二軒・蔵一ヶ所・小屋三ヶ所。松本[地方|ぢかた]、家一
軒。木田[地方|ぢかた]、家一軒・蔵一ヶ所。三ツ橋地方、家一軒・
小屋一ヶ所。畑方・蔵一ヶ所。[上領|かみりょう]では家一二軒・半壊
四三軒。中領では家三七五軒・半壊一五一軒・お宮一三
社・死者七人・負傷者九人」などと書かれている。
この資料を整理してみると、福井藩領だけで、倒壊家
屋四〇〇戸・半壊が一九四戸・土蔵九棟・小屋一六ヶ所・
社寺一三・死者七人・負傷者九人ということで、これは
越前全域ではなく、他藩領のモノはふくまれてはいない。