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項目 内容
ID J2700249
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1854/12/23
和暦 嘉永七年十一月四日
綱文 安政元年十一月四日・五日・七日(一八五四・一二・二三、二四、二六)〔関東~九州〕
書名 〔昔からの福井の地震〕上杉喜寿著H8・1・30
本文
[未校訂]37 福井地震
嘉永七年(安政元年・一八五四)六月(ママ)三日
 『続片聾記』や『敦賀西村家記録』などによれば、福
井地震と名づけ「三日から地震始まり、四日には、朝の
四ツ前(一〇時)にグラッと大地震に強襲され、五日には、
またまた余程の地震あり、その後、引続き地震の儀は数
日に及べり」とあって、更に、次の記録もある。
 「城内の櫓及び塀など大破、壁落ち、石垣ふくらむ、
木田組は家一軒・土蔵一ヶ所。本組(本町組か)、家一ヶ
所。京町組、家一軒・土蔵一ヶ所・小屋四ヶ所。下呉服
町組、家二軒・蔵一ヶ所・小屋三ヶ所。松本[地方|ぢかた]、家一
軒。木田[地方|ぢかた]、家一軒・蔵一ヶ所。三ツ橋地方、家一軒・
小屋一ヶ所。畑方・蔵一ヶ所。[上領|かみりょう]では家一二軒・半壊
四三軒。中領では家三七五軒・半壊一五一軒・お宮一三
社・死者七人・負傷者九人」などと書かれている。
 この資料を整理してみると、福井藩領だけで、倒壊家
屋四〇〇戸・半壊が一九四戸・土蔵九棟・小屋一六ヶ所・
社寺一三・死者七人・負傷者九人ということで、これは
越前全域ではなく、他藩領のモノはふくまれてはいない。
出典 日本の歴史地震史料 拾遺 別巻
ページ 473
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 福井
市区町村 福井【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

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