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項目 内容
ID J2700204
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1854/07/09
和暦 嘉永七年六月十五日
綱文 安政元年六月十五日(一八五四・七・九)〔伊賀・伊勢・大和・山城・近江・河内〕
書名 〔改訂大和高田市史 後編〕大和高田市史編纂委員会S62・3・30 大和高田市役所
本文
[未校訂]嘉永の大地震とコレラの流行 嘉永七年(一八五四)六
月一四日、大和・伊賀・伊勢の三国を中心に大地震が発
生した。被害はとりわけこの三国に集中し、大和では奈
良・郡山が被災し、奈良町では五〇〇軒余り、郡山では
五〇軒余りの人家が倒壊した。また奈良町南郊の添上郡
古市村(いま奈良市古市町)では、村の東方谷あいをせきとめて築造
した平尾池堤が崩壊し、村人七〇人余りが死んだと伝え
られている(「記録」京都府向日市・古川孫作文書)。
出典 日本の歴史地震史料 拾遺 別巻
ページ 421
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 奈良
市区町村 大和高田【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

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