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項目 内容
ID J2700175
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1847/05/08
和暦 弘化四年三月二十四日
綱文 弘化四年三月二十四日(一八四七・五・八)〔北信・上越〕
書名 〔諸事留帳〕保井将良家文書大津市史編さん室提供
本文
[未校訂]一弘化四丁未年三月廿四日信州善光寺地中近辺四里四方
之間大夜四ツ時頃ゟ地震ニ而山ぬけ并出火にて大騒動成事ニ候善光寺
地中之内両側四十八坊御座候処不残ゆすり崩し不残焼
失右宿坊之泊り人々過半焼死其外町々之宿屋不残崩焼
失残り之分ハ本堂太勘(ママ)寺本願寺右三ヶ所なり大門町藤
屋平五郎与申宿屋泊り人凡六百人斗も有之候処右之内
五人斗助り残リハ皆焼死ス其外宿屋不残家も人も助ら
す其砌善光寺御開帳御座候而殊之外之参詣にて道中筋
旅宿も無之程之賑ひ出□から川与申渡し場有之候処一
日ニ凡参詣之人壱万人位程ツヽ通行誠ニ珍敷参詣ニ御座
候処右之大騒動不怪事ニ候右御開帳ニ而宿屋泊り人多く
はたこ賃常ゟ百文斗も増を取候由然ルニ宿屋之内壱軒
平日之通ニ而とめる事有之不思議なるかな其家斗残候
由申事ニ候扨又志(ママ)のておち合与申所も不残崩レ焼失す又
いなり山宿も不残つぶれ助り候人漸々四人斗与申事ニ
候江戸道矢代松代も御城下も大躰半□つぶれ丹波川
とま(カ)り善光寺地中におゐて死人之数凡三万人斗之様子
□又松本宿過半崩土蔵ハ皆々つぶれやかん屋与申家之
土蔵二ヶ所残リ乍去松本宿之人ハ壱人も怪我等も無御
座候由ニ候古今稀成大騒動ニ候事丹波嶋迠之家数不残たをれ候由
一同年同月廿九日之夜大地震ニ而松代本丸二之丸櫓并大堀
潰レ御家中御屋敷神社佛閣悉ク押つぶれ本丸外堀水吹
出し往還一面之水前ニ委書清(ママ)置候事
出典 日本の歴史地震史料 拾遺 別巻
ページ 362
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 滋賀
市区町村 大津【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

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