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項目 内容
ID J2700172
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1847/05/08
和暦 弘化四年三月二十四日
綱文 弘化四年三月二十四日(一八四七・五・八)〔北信・上越〕
書名 〔番頭用人日記〕○江戸一橋徳川家文書 茨城県立歴史館蔵
本文
[未校訂]一今夜四時過余程之地震ニ付御機嫌御伺として左之通
御前より
一位様江 御近習番橋本左内
右 御口上合田靭負江申述候処御相応之 御返
答被 仰出候旨罷帰申聞之
(四月二十八日の条)
一左之通
真田信濃守殿ゟ
御前江 取次役窪田愼六
御家老中迠私領分地震ニ而領内住居向其外及大破家中町在共悉
破損其上出水等ニ付拜借之儀奉願候処達
御聽可為難義与被 思召壱万両拜借被 仰付難有仕
合奉存候右為可申上以使者申上候
右申□
出典 日本の歴史地震史料 拾遺 別巻
ページ 361
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 東京
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