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項目 内容
ID J2700129
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1847/05/08
和暦 弘化四年三月二十四日
綱文 弘化四年三月二十四日(一八四七・五・八)〔北信・上越〕
書名 〔日本随筆大成 第Ⅱ期 3〕日本随筆大成編輯部S49・1・12 吉川弘文館
本文
[未校訂](筱舎漫筆)西田直養(寛政五~元治二)著小倉藩士
○信濃国大地震中一奇談
弘化四未六月十六日、豊前四日市の医師渡辺明といふ人
来りて曰、この五月より東国辺遊行、近頃の信濃の大地
震のことをいふ。此ころ善光寺通行。げに風説よりもあ
はれなり。人畜の死亡、田畠の損毛は、世人のいふとこ
ろなればきかず。たゞ一奇談あり。小市といふ処より少々
上の手の川端に、岸根に源海といふ浄土宗の大徳、法然
同時の人の入定の石棺といふもの、昔はありしが、此度、
水にて棺くだけたり。しかるに其死体筋骨具足して、川
下の南の方氷鉋村といふ処の柳樹間にかゝりしを、村民
かねて源海が入定といふことをしりたりしゆへ、ひろひ
あげて箱にをさめ、其村に唯念寺といふ寺あり。浄土宗
なり。其僧もらひて寺に安置す。それを見たりしに、骨
くみ崩れず。かの弘知法印のごときものとぞ。六七百年
も空気にあはず、石中にありしゆゑ、そのまゝなり。四
月十三日出水にて、十六日の朝見出せしなり。一奇なり。
出典 日本の歴史地震史料 拾遺 別巻
ページ 197
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
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