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項目 内容
ID J2700081
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1707/10/28
和暦 宝永四年十月四日
綱文 宝永四年十月四日(一七〇七・一〇・二八)〔東海以西至九州〕
書名 〔夜須町史 上巻〕夜須町史編纂委員会S59・9 夜須町教育委員会発行
本文
[未校訂](注、他出ある部分は省略)
 また大変記には手結浦の被害については触れていない
が、『手結浦日抄』には、
手結枝浦新町
 承応元辰年(一六五二)三月新町手結浦に奉願仰せ付
けられ、庄屋七丞・年寄関右衛門願書の扣有り。予関
右衛門宅今新町[笑子|えびす]堂の東に村をなして住居せしが、
宝永四年亥年(一七〇七)潮変(津波)に残らず流失、今
の新町へ引き移すと云う。
承応元年(一六五二)成立の手結浦新町が、この津波に
全滅しているので、手結浦にも大被害があった。『谷陵記』
には「手結亡所、潮は山まで山の上の家少し残る」とあ
る。『手結浦日抄』も「大変」としてこの地震・津波の恐
ろしさを伝えている。咽喉元すぎて忘れ易いのは人間で
ある。忘れた頃には天災はくるので、忘れてはならない
ことを古人はよく知っていたのであった。
出典 日本の歴史地震史料 拾遺 別巻
ページ 87
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 高知
市区町村

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