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項目 内容
ID J2700041
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1707/10/28
和暦 宝永四年十月四日
綱文 宝永四年十月四日(一七〇七・一〇・二八)〔東海以西至九州〕
書名 〔田原藩日記 第三巻〕○田原
本文
[未校訂](萬留帳)
(元文四年七月二十九日の条)
一、町廻り幾右ヱ門申聞候は此度田原も田畑かゝり枝打
被仰付候ニ付、私屋敷門先、田縁ニ付ひとへ薮在之候。
右之薮先規より屋敷並、御組源八郎、加右ヱ門、半六郎、
私屋敷ニ付ニ候薮之旨、屋敷代リ之節も申次ギ候。右之
薮ニ付キ候道通リ之垣も受取之場、手前〳〵より仕来リ
候。然ル処此間組頭を以申候は右之薮地下薮ニ候間、
此度志がら笹ニ所々切らせ申候間、伐払ニ申候旨申候
間、其段難心得候、地下薮之証拠慥ニ在之候而申候哉
と相尋候処、証拠と申も無之候得共、古キ百姓共此度
申候は御取替之節ハ送り神竹抔ニ伐申候旨申候間、左
も有之候哉と申達候旨申候。左候ハヾ数十年之内、竹
伐之節其外地下用事ニも鎌入レ候事も無之、年々垣も
手前〳〵より致、先年大地震之節破損等も在之、其已後
共ニ折節之道はそん繕等ニも地下よりは構不申、手前
〳〵よリ致来リ候。其上右薮下通リ少々宛屋敷〳〵ニ付キ
候田も在之候。先年は畑之山ニ候得共、志つけ候故田
ニ致候由申伝候。旁今ニ至リ地下薮とは難心得候段申候
へば委細承候趣ニては御尤ニ奉存候段申候。右之訳ニ候
間御噺申候旨申候。一々尤之事ニ相聞ヘ候。只今ニ至、
左様ニ申せば迚、無吟味相渡候儀は成間敷候。其通成
申候ハヾ先其分ニ候旨申候。
出典 日本の歴史地震史料 拾遺 別巻
ページ 45
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 愛知
市区町村 田原【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

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