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項目 内容
ID J2601589
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1894/03/22
和暦 明治二十七年三月二十二日
綱文 明治二十七年三月二十二日(一八九四)〔根室・釧路〕
書名 〔釧路町史〕釧路町史編集委員会編H2・8・31 釧路町役場発行
本文
[未校訂] 釧路地方は気象災害の外に、地震による大きな災害に
見舞われてきた。主なものに、明治二七年三月二二日午
後七時二三分一五秒、釧路南東沖を震源に、マグニチュ
ード七・九の地震が発生し、死者一名、負傷者一名を出
した。釧路地方のこれまで最大の地震が、昭和二七年三
月四日午前一〇時二三分七秒に起こった。震源地は襟裳
岬南方五〇キロメートルの沖合で発生。マグニチュード
八・一、震度五の十勝沖地震である。地震による死者は
一六名、負傷者三〇名を出した。最も悲惨だったのは、
太平洋炭砿のズリ山が崩れ、社宅二戸が押し流され子供
七人、大人一人が生命を奪われたことである。あと集合
煙筒の倒壊で下敷きになり七名が死亡、漁船にはさまれ
一名が亡くなっている。また地震発生一〇~三〇分後に
道東一帯に津波が押し寄せ、浜中町霧多布では街が一飲
みにされ、死者三名を出している。この時は海水が津波
と共に押し寄せ、被害を一段と大きなものにした。
明治二七年三月二二日 根室釧路沖地震(七・九M)
 『日本の災害』によると、「午後八時頃、地震起る。
釧路国厚岸郡において、潰家二五あり死者なし」とある
けれども、また「根室、釧路沿岸烈震区域で、有震区域
は北海道全部、越後西端、彦根に亘る。根室地方では家
屋の倒壊等被害あり。中でも煉瓦造りの建物の破損甚だ
しく、裁判所の周囲の壁は悉く破壊される。同地方は家
屋の大破三九、土造レンガ等の破壊三一、地面裂け、東
沸村に通ずる海岸の絶壁崩る。地震の三〇分後高さ四尺
から五尺の津波押よせ、留夜別にて家十二戸破損、家具
流失、漁船流失四、同破損三、その他の被害を出す。厚
岸の被害は甚大で、全壊一一、半壊一七、負傷者二、三
名あり、釧路全般にて死者一名を出す」とある。官報三
月二七日付では、「明治二七年三月二一日午後一時四分
より数回にわたり前震あり。同二二日午後七時二十三分
烈震を生じた。震源地は根室南方沖北緯四十二度、東経
百四十六度マグニチュード七・六、震度五~六で大津波
もあり、釧路では圧死一人を出し、厚岸地方最大被害地、
状況は不明」と報告されているが、いずれも多少の差違
が見られる。
出典 日本の歴史地震史料 拾遺
ページ 356
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 北海道
市区町村 釧路【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

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