[未校訂] これから三年あとの二十七年三月二十二日には、大地
震に襲われている。新撰北海道史第七巻の年表には、
「二十二日夜東海岸地方激震であり、根室・釧路間被害
多し」とあり、これを釧路市史によれば「明治二十七年
三月二十一日午後一時四分三十秒より数回の前震あり、
同二十二日午後七時二十三分十五秒烈震を生じた。震源
地は釧路南東沖で烈震区域は釧根沿岸より国後島西端を
包括し、釧路では死者一名、負傷者一名を出し、粗造の
小屋は倒潰し釧路川沿岸は幅一尺余延長十数間にわたる
亀裂が随所に生じ、海岸において海嘯が来ることを恐れ
て、頓化、苧足糸方面の住民は衣類寝具を高台に運んで
避難する者多く競々たるものがあった。しかし幸い海嘯
の襲来は見られなかった。」と詳しく記述されている。
さらに、橋本堯尚編の「北海道史年譜」には二十七年の
項の冒頭に「三月根室地方大激震」と扱われているのを
みても、釧路より根室の被害が大きかったことがよくわ
かる。この地震に関する根室地方の被害については、記
録されたものが少なく、詳しくすることはできないが、
「大火記録」の表によれば「二七・三・二二日 大地震
被害戸数八七七戸 火災発生の有無不明」とあるのをみ
ても大きな被害をうけたことが容易に想像される。