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項目 内容
ID J2601570
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1891/10/28
和暦 明治二十四年十月二十八日
綱文 明治二十四年十月二十八日(一八九一)〔美濃・尾張〕
書名 〔増補改訂 丸岡町史〕丸岡町史編集委員会編H1・10・5 丸岡町長
本文
[未校訂] 明治二十四年十月二十八日午前六時半に起こった濃尾
大地震で、死者七千二百七十三人・家屋全壊八万戸とい
う大惨害、六メートルに及ぶ根尾谷断層を生じたことは
地震史でも有名だ。余震は続いて十一月十日にいたった。
福井県記事によると、死者十二名・負傷者・百五名・家
屋の倒壊、破損三千七十七戸で坂井郡内家屋の倒壊は四
八〇戸と伝えている。いつまでも続く余震におびえきつ
て、竹やぶに作った小屋に寝泊りした者もある。平章校
では二週間も授業を休んだ。この地震で三国ではさっぱ
り魚がとれず、翌年の正月になってやっと野村の店先に
小がれいが顔をみせたと、田町の柳田俊雄の手記にある。
出典 日本の歴史地震史料 拾遺
ページ 354
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 福井
市区町村 丸岡【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

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