[未校訂] 明治二十四年十月二十八日午前六時半に起こった濃尾
大地震で、死者七千二百七十三人・家屋全壊八万戸とい
う大惨害、六メートルに及ぶ根尾谷断層を生じたことは
地震史でも有名だ。余震は続いて十一月十日にいたった。
福井県記事によると、死者十二名・負傷者・百五名・家
屋の倒壊、破損三千七十七戸で坂井郡内家屋の倒壊は四
八〇戸と伝えている。いつまでも続く余震におびえきつ
て、竹やぶに作った小屋に寝泊りした者もある。平章校
では二週間も授業を休んだ。この地震で三国ではさっぱ
り魚がとれず、翌年の正月になってやっと野村の店先に
小がれいが顔をみせたと、田町の柳田俊雄の手記にある。