[未校訂]大地震の概況※ 『熊本』明22・7・29
七月二十八日午後第十一時三十五分、当熊本に大地震
あり。余輩は験震器を有せざれば、詳かなる報告をなし
得ずと雖ども、庭前の泉水が西南より東北に向かって溢
出したるを以て、其の方位を知るべし、而かして震度を
言へば、右泉水の水上面二寸ばかり溢出し、且又経歴久
しき紺屋の実験にては、昔日嘉永七年の大地震には、藍
瓶の藍、大[田子|たご]六荷の量溢出したるが、今回は三荷の量
を溢出せりと云へり。以って震度を卜すべきなり。当夜
は既に眠に就れしものあり、未だ眠に就かざるものあり。
起き居たるものすら大狼狽せり。況んや未だ眠りに就か
ざるものをや。何れの家も狼狽は免がれざりき。市内の
住民は各々先きを争ふて街路に出づ。各人家壁落ち、瓦
離れ、戸[迦|はず]れ、柱傾むくなど損害万状なりしが、中に市
内にて尤も哀むべきは、家倒れ木に撃たれて非命の死を
致したるものなり。即はち左の如し。
中坪井町三十七番地 仁王数蔵母 スサ 六十一年
西坪井町養福寺留主番人 黒河弥平
市外黒髪村大字坪井芥川某 家婢
同処 後藤源吾
なりと云ふ。家倒れたれど人命恙なかりしは
下通丁六十一番地 中川万吉 家族三人
新屋敷町百六十二番地古閑真行 家内五人
新一丁目 清泉八太郎
同 町並左一郎
右の外に小沢町等にありと云へども、之れを起草するま
で詳細なる取調べをなすを得ざりき、而して、左しも堅
固なる熊本城も処々少崩の処ろなきにあらず。今暁に実
見する処ろなれば、竹ノ丸の中程崩れ、下馬橋の門側の
石垣崩れたり。又た城内百間石垣の上部も壊崩せりとい
ふ。
道路も亦た処々ヒビ割れし個処あり。第二十三聯隊の
北側、山崎川端通・米屋町及監獄の横等なり。又三年坂
近傍の如き凹窪したる処ろもなきにあらず。観音坂壊れ、
奥村順正堂病院の牆塀の倒れ、坪井宗岳寺門前の石垣壊
れたる如き類を挙げば実に枚挙に遑あらず。市外尚ほ一
層[太|はなはだ]しといふ。
凡そ震動一回のみならず、終夜小震ありて前後数十回
に及べり、余輩が筆を執て此の報を記する間にも亦た震
動せり。去れば前夜驚愕して家屋内を出でたる市民は、
悉く街路若くは学校遊歩場の如き、広闊なる処ろに起
臥・坐踞して一夜を明かせり。今日々昇りても、猶ほ地
は震動を止まざりき。
地震につき、県庁・市役所其の他官衙には吏員たち詰
め切られ、警察官吏の如きは非番・勤務を問はず、すべ
て出署且つ街路を巡りて保護を務む。
本県庁よりは早速阿蘇山に中島警部を派出せしめら
れ、三角に電信を発し百貫迄吏を派し、隈府へも人を遣
はせりと云ふ。三角の返信は、地震は数回ありたれど大
の字を付くる程なし。百貫出張の復命は、小島町倒家二、
即死一人、負傷五人、高橋町倒家七軒、半倒十軒、即死
五人、負傷七人、他は今朝まで之れを聞かず。或は云ふ、
宇土町も亦た家倒れ人死せるものありと。信なるや否や、
未だ確かに聞かず。
以上今朝急遽に記したれば探訪も届かず、誤謬もなき
を保せずと雖ども、不取敢昨夜の概況を報道するになん。
(社説)地大に震ふ※ 『九日』明22・7・30
一昨廿八日の夜、熊本地大に震ふ(独り熊本のみにあ
らざるべし。然れども未だ他方の報知に接せず)。其の
詳かなるは、本日の雑報欄内に在り、就いて之れを一読
せられよ。
抑も今回の震災は、記者の如き若輩の、生来未だ嘗て
遭遇せざりし所の大震にして、之を近隣の父老に聞くに、
安政の震災以来希有のものなりと云ふ。其の劇勢の程以
て見るべきなり。若し古陋なる漢学者をして之を見せし
めば、必ず云はん、姦臣朝に在り、天地震怒す。政綱紊
乱して陰陽和を失ふと。此の如き迂闊陳腐の説は、今や
三尺の童子と雖、敢て感服する者なし。然れども地震の
起る、豈に起るの因なからんや。知らず其の因何くに在
るや。臆想を逞ふする者は曰く、是れ火山震動の余響な
らんと。或は曰くこれ水蒸気の作用なるべし、前日の霖
雨深く地中に浸入し、火脈に接して激動を起せしならん
と。吾人は理学の知識に乏しく、而して一も地学に通ぜ
ず。其の因果して前説に在るか、後説に在るか、将た他
に存在する者あるかを知らず。知らざるが故に言はず。
推して之を世の博識の考究に供せんのみ。只だ吾人の気
の毒に堪へざるは、此の地震に由て不慮の災難に罹りし
者なり。先きには瀬戸坂の崖崩れで死傷十数名あり。今
ままた死傷十数名。何ぞ天の此の一方の者に禍すること
の屢なるや。
地震発動の模様※ 『九日』明22・7・30
一昨夜は朝来冷気を帯び、初秋の気候位にて至て
[肌心持宜|こころもちよろ]しかりしが、日暮より淡紅を帯びし黒雲天を[掩|おお]
ひ、暖気蒸々としてありしが、午後十一時四十分頃、東
南位に当り[轟|ごう]々と雷声の如き響なすや否、俄然激動を始
め、常時の地震の比に非ず。人民は余りの急遽に帯なす
暇なく逃出し、或ひは圧死し(別項に詳かなり)惨怛たる
現状を呈したり。夫より轟々たる響を聞くと、等しく数
回の小震動をなし、一時半頃やや大動。又た一時半位を
隔てて大動をなしたり。此時の気候は前夜の[蒸気|むしけ]に反し
至て清快の気候なりしが、未明より又た〳〵黄卵色の雲
天を描き、微雨漸時降りしも、程なく朝日の昇ると共に、
一天晴れ亙りしが、午前八時頃より又た〳〵曇雲天を掩
ひ、此時の寒暖計は八十二度を示したり。而して小震動
は猶ほ止まざりし。
金峰山崩る※ 『九日』明22・7・30
同山は此頃鳴動せし噂ありしかば、一昨夜の地震の結
果如何と懸念し、人を馳せて実情を探知せしめしが、果
して山の西側、船津に面する所凡そ二畝[許|ばかり]崩れたり。
旧熊本城内石垣大崩※ 『九日』明22・7・30
旧熊本城当師団元頰当門より、数寄屋暗がり門を通り
師団までの間、左右の石垣□ヶ所壊崩し、其残りも何時
崩れんも計り難く最危険なり。又西追手、南追手辺より
師団軍法会議所等の石垣八も余程の大崩あり。音に名高
き加藤侯の築かれて三百年。以来嘗て微塵も動揺せざり
し石垣の崩壊せしとは。一昨夜地震の劇勢も思ひ見るべ
きなり。
(社説)震災地の保護に其筋の注意を望む
『熊本』明22・8・6
今や我が熊本市は恰も戦状を呈せり。市民皆負荷して
立ち続々として各郡村に立退くもの、日に夜にして既に
全市民の大半は引き払ひ、今猶は雑踏止む所を知らず。
壊然として荷物を運び、老幼を[拉|ひ]き、キョロ〳〵として
立ち去る景状は、鳴呼何を以て之を譬へんや。
吾人は昨朝小藤博士よりの報告に依りて、噴火の気遣
なく、又た全街に禍を下すことなかるべしと確信す。勿
論、吾人は地質学者に非ず、又実地を精細に検査したる
者に非ざるを以て、万々当地に禍害なしと断言して、市
民の立退くを引き留むること能はざれども、若夫れ吾人
一己の意見を以て小藤博士の明言を参考するに、熊本の
禍害は噴火の上に於て之れ無かるべしと思はる。噴火の
禍ひなしと雖、吾人は更らに、之れより[怕|おそ]る可き禍ひの、
今や正に眼前に来らんとすることを憂慮せずんば非ず。
視よ〳〵、市民の大半は既に引き去りて、全街の光景
頓に寂寥となり、荷物を運ぶ車の音、驚き叫ぶ老若の声
は漸く郡部へ響きつつ熊本市街(今日の有様を以て推せ
ば)今後如何なる変状を呈すべきや。吾人は懼るる所ろ
寧ろ此点に存す。
若夫れ、かかる場合に於て悪盗あり、凶威を恣にせん
とする時に於ては、如何なる騒動を惹き起すことあるや
を保せず。此家内無人数となりたる時に於て、人々狂せ
んとする時に於て、彼等一たび之れに乗ぜば、不測の禍
害を蒙らしむるに至らんことを信ず。故に警察は増々其
警戒を厳にし、此上にも全街の安全を図られんこと切望
の至りに堪へず。次に恐るべきは火災なり。今や市民は
[啻当|ひたすら]震災の恐怖すべきことにのみ熱中し、熱中するに従
って万事に注意を怠り、剰へ既に一旬安眠を得ざるより
して疲幣困却殆んど名状すべからず。甘んじて死を待つ
もの途路に満つるが如き惨状を呈せり。此危機に際し一
旦火急を報せば、全街は忽然として惨状の上に惨状を積
み、如何に警戒厳なりと雖、最早手を[措|さしお]く処なきに至
らん。而して此危機たる最も深く注意せずんば、忽ち生
出すべきことなり。記者は現に一昨日午后一時頃市内を
巡視する砌り、市内白川町に於て将に大事に至らんとし、
四隣馳せ付けて漸く之を消し止めたるを見受けたり。斯
の如きこと或は処々に之れあらん乎。苟も然りとすれば、
今後其筋の注意増々火災の上にあらんことを希ふ。
且又既に前号にも陳述し置きたる如く、今後最も恐る
可きは疾病の流行之なり。吾人は爆然としてよし二ノ岳
破裂したりとも、左迄恐るるに足るべきことなにかあら
んと信ず。然れども今後の病禍に至りては、少しく[悚|しよう]
[然|ぜん]する所なくんばあらず。蓋し今日に於ても、今度の震
災の為めに不慮の病難に陥りたる者敢えて少なからざる
可し。現在吾人が実見したる所の人にして、神経病患者
となりたる人数人あり。亦た大地震後に於て赤子を産し、
其後の震動の為めに赤子は死し、母は満身充血して気息
たへだへなる(アア無残)を見たり。吾人は只市内の一部
を巡りたるに、此等の惨状を目撃したるより推す時は、
人知らぬ処に於て之を介抱するに人なく、之れに与ふる
に人なきもの幾人あるべきか、吾人は之を思ふてアア涕
涙を覚えざるなり。偏へに[願曰|ねがわ]くは、其筋より手を尽し
之を救ふて安きを得せしめよ。之を看病し之を介抱する
が如きは民間豈に人なからんや、豈に一人の仁者なから
んか。
次に注意を乞ふは、車賃・車夫の取締りなり。実に彼
等は時として或は無法の事を云ひ、憫然なる父老を苦し
ましめんとし、既に昨今に至りては車賃の騰貴甚しく、
五里に二円を貪りて、七里に三円を貪ぼる抔[比々|ひひ]皆な然
るなり。固より彼等も此の非常の時に際して多少の増賃
を要するは止むを得ざるに出づと雖、其滅法なりに至り
ては、深く其筋に於ても注意し、果して取締まるべき必
要ありとせば、可成迅速に注意周ねく到らんことを望む。
実に警察官の如きは、かかる場合に於て泰然として民を
慰め、撫養せらんことを希はざるを得ず。官吏の顔色、
足の踏み様に至る迄全市民之れに注意し、官吏の顔色を
見て市民の安危を感ずるが如し。当此時温和なる笑ひを
含んで市民に望まば、市民は忽ち大旱に[雲霓|うんけい]を望まん。
夫れ今日に至る迄、其筋の注意は偏へに発震の原因を
知らんことに汲々たりしが如し。然れども此原因を探る
には、全県庁を挙げ、全警察を挙げて之を成すの必要あ
るを見ず。幸に小藤博士来り、馬場技手来られしを以て、
大概の原因は判然することを得べければ、警察・県庁の
務は可成的正確に一定したる報告を発せざるべからず。
実に斯る時に際しては、其筋の一令一動は全街を左右せ
んとするの勢力あるものなるを以て、深く茲に留意あり
て一言一行正整ならんことを望む。而して発震の原因を
探ぐるに汲々たりし力を挙げて全街を静め、全街を撫し、
警戒いよ〳〵厳ならんことを希望の至りに堪へざるな
り。