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項目 内容
ID J2601021
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1833/12/07
和暦 天保四年十月二十六日
綱文 天保四年十月二十六日(一八三三・一二・七)〔両羽・越後〕
書名 〔鳥海町史〕鳥海町史編纂委員会・鳥海町企画課編S60・11・1 鳥海町発行
本文
[未校訂]○天保四年(一八三三)地震。城下はじめ、南秋田郡海岸
通り被害甚大。(秋田県災害史)十月廿六日地震にて所〻
痛む。(矢島町木村昌二家文書)
○天保四年十月廿六日雨。
一昼八ツ時頃大地震ニて御家中、町土蔵石垣等痛ミ、そ
こ〳〵病有之候。たんす動申候。
表(77) 天保4年の地震による被害(「本間家誌稿」より)(酒田市史改訂版 上巻)
被害
潰家
半潰家
大痛家
痛家
合計
土蔵潰
土蔵大痛
土蔵痛
合計
川船大痛
川船中痛
無玉船大痛
猟船流失
猟船大痛
猟船痛
高野浜渡船流失
合計
潰土蔵
届出町長人
酒田町組
2
1
7
37
47
0
0
1
1
6
4
1
2
8
5
1
27
山形御蔵
渡部隼人
栗林信右衛門
二木英治郎
鐙谷惣右衛門
上林勇右衛門
内町組
14
3
36
15
68
5
15
13
33
0
0
0
0
0
0
0
0
斎藤半内
佐竹弥右衛門
伊東弥伝太
米屋町組
28
20
145
169
362
8
46
0
54
0
0
0
0
0
0
0
0
池田吉兵衛
野附七郎兵衛
佐竹弥右衛門
合計
44軒
24〃
188〃
221〃
477軒
13カ所
61〃
14〃
88カ所
6艘
4〃
1〃
2〃
8〃
5〃
1〃
27艘
(注) 文政元年(1818) 酒田総軒数 2,225軒
〃 二十七日雨 一地震不絶昼夜共
〃 廿八日雨 一地震昼夜たへず。
十一月二日晴 時々地震。三日雨、稀に地震。
同年十二月廿五日 一昨夜飛脚着夜ニ入候ニ付、今回御
用状相渡。
十月廿六日地震ニ付、御用番松平和泉守様ヘ御届左之通。
出羽国由利郡私領分、去〻月廿六日未中刻地震強、矢
島陣屋家中町在共破損所并同日同刻海辺洪波ニて流
失家之覚
一土蔵二棟 一家中土蔵大破四棟 一寺土蔵大破
一民家大破廿六軒 一同流失家三軒 一町家土蔵大
破五棟 一稲流失千把程 一流死人 壱人 一牛馬
怪我無之候
右之通御座候。尤陣屋別条無御座候。此段御届申上候。
以上。
十二月四日
御名(親愛公御代御在所御用部屋日記抄)
この時の地震に津波が加わったとみえて「海辺[洪|こう]波
ニて流失家―」のことがある。
出典 日本の歴史地震史料 拾遺
ページ 263
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 秋田
市区町村 鳥海【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

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