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項目 内容
ID J2601022
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1833/12/07
和暦 天保四年十月二十六日
綱文 天保四年十月二十六日(一八三三・一二・七)〔両羽・越後〕
書名 〔甲子夜話 三篇 1〕松浦静山著中村幸彦・中野三敏校訂S57・9・10 平凡社
本文
[未校訂](巻一)
[一〇] 地変も種々有ることと見ゆ。近頃聞所を左に挙
ぐ。是は去歳季冬の初に、溝口侯より告る所なり(癸
巳)。
御在所越後国蒲原郡新発田御領内、当十月廿六日地震
に而、西北海辺え寄候村々別而騒、田畑道筋地裂、高
波に而溺死人幷破損所等左之通
一、破損番屋 二ケ所
一、
田畑浮揚滅込
砂吹出変地
 四百九拾九反弐百四拾壱歩
一、堤破損 千四百三拾弐間
一、半潰家 拾九軒
一、破損家 八拾八軒
一、半潰蔵 四ケ所
一、溺死男 五人
 右之通御坐候段、御用番様え御届被指出候
地震にて、土裂沙出ることは[毎|つね]に聞けり、されども地
の浮揚ることは[何|イカ]なる故にや。先年会津の地震もこの
如きを聞けり。高波は大地海潮を揺がして洪濤を成す
ならん。譬るに小児の[盥|タラヒ]にして[水戯|ミヅナブリ]をなすの理乎。
出典 日本の歴史地震史料 拾遺
ページ 265
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
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