[未校訂] 『池田町史』では、この村の「大庄屋御用日記」から
引用して、「越前地震」と命名、九ツ過ぎ(〇時半頃)に
発生したとする。
(中略)
また『石川県災異誌』には、「昼ノ九ツ半(後一時頃)、
金沢にてはこれ程大きなるものはなし」とある。かつて
ないところの強震だったのであろう。
(中略)
池田郷の奥に河内という集落があり、ここの旧家飯田
家に保存されてきた古文書中の断片に、「[巳|み]ノ四月九日
地震、[楢俣|ならまた]奥山崩れる」とあった。年号は十二支ではあ
るが、「巳年の四月九日」とあるから、日時が合致する
ので、敢えて取挙げてみた。この楢俣の奥山とは、冠山
の西方に聳える金草岳(一二二七メートル)に当るもので
あろう。
余震は八月末まで続いた。