[未校訂]一、同三十六卯年三月十日大波揚あり、宮国、新里、
砂川、友利四ケ村人家引流され往古未聞の大変事で
あったので、御届のため飛船一隻には大筆者仮若文
子真喜屋仁屋、一隻は前里筆者豊見山仁屋が出発し
た。
註 一七七一年先島地方南海岸に大津波あり。
二、右大波揚は多良間島も同様であるとの飛船の通知が
あったので、諸事取計いのため名嘉真親雲上、頭下
地親雲上詰医者知念春林、脇目差等四人渡島したが
帰途琉球へ漂着してそれから帰島した。
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項目 | 内容 |
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ID | J2600630 |
西暦(綱文) (グレゴリオ暦) |
1771/04/24 |
和暦 | 明和八年三月十日 |
綱文 | 明和八年三月十日(一七七一・四・二四)〔八重山群島〕 |
書名 | 〔宮古島在番記〕「宮古島旧記並史歌集解」稲村賢敷著S51・5・31 至言社発行 |
本文 |
[未校訂]一、同三十六卯年三月十日大波揚あり、宮国、新里、
砂川、友利四ケ村人家引流され往古未聞の大変事で あったので、御届のため飛船一隻には大筆者仮若文 子真喜屋仁屋、一隻は前里筆者豊見山仁屋が出発し た。 註 一七七一年先島地方南海岸に大津波あり。 二、右大波揚は多良間島も同様であるとの飛船の通知が あったので、諸事取計いのため名嘉真親雲上、頭下 地親雲上詰医者知念春林、脇目差等四人渡島したが 帰途琉球へ漂着してそれから帰島した。 |
出典 | 日本の歴史地震史料 拾遺 |
ページ | 139 |
備考 | 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。 |
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