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項目 内容
ID J2600602
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1767/05/04
和暦 明和四年四月七日
綱文 明和四年四月七日(一七六七・五・四)〔南部鬼柳〕
書名 〔高野家記録〕○仙台宮城県図書館マイクロフィルム
本文
[未校訂]四月七日 朝寒晴昼暴風強地震
無間鎮風夕止夜復吹
○昼四鼓前大地震府下宅内証壁少落堕米蔵抔損少々出
ル追々聞取ニより甚強道路割ひゝけ石垣所々崩堕る由也
○地震ニ付所々御□由久之丞様ゟ被仰下晩
公弘遠藤氏僕一人召連参上無別条内(カ)光明山慈生君御石碑の
ミ御倒被成三場山石燈篭倒□迠ニ而御石碑二人して押立
候義不叶被帰候由公弘直ニ名代勤候様申付相勤候由共々
ニ申聞也
四月八日 朝寒風吹晩七鼓
半過地震微少
○慈生君御石碑建ニ四人上候佐藤允治彦作助作彦七郎
也首尾能相立候由帰申聞之
四月十一日天晴大暖袷服恰好(中略)
○過七日之地震御在所辺強居館ハ無別条高田山御石碑
共御倒被成客殿所々壁崩穀蔵南西(面?)東方壁堕候由也奥筋者
地三寸斗割泥水出候所も有之由 御本丸御殿中上通之壁
大かたわれひゝけ乱間抜落高窓皆紙破裂大破也両足山
肯山様獅山様御石碑横之方へ御(ママ)むじれ被遊石塔燈篭皆倒
破候由也
四月十二日 天晴風吹冷
夜半過地震
出典 日本の歴史地震史料 拾遺
ページ 134
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 宮城
市区町村 仙台【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

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