[未校訂](醍醐随筆)
中山三柳著
寛文十年記
一[去|さん]ぬる壬寅五月一日、京都大[地震|ぢしん][感神院|かんしんいん]の石の[華表|とりゐ]た
をれて[微塵|みじん]と成。五条の[石橋|いしばし]こと〴〵く[砕|くだけ]て川をう
づむ。山くづれ水[涌|わく]、[神社仏閣|じんじやぶつかく]もふりぬるはくづれ、
[民屋|みんをく]も[多|おほ]く[破|やぶ]れたふれぬ。[関東|くはんとう]にはこれほどの[地震|ぢしん]
折にふれて有とは聞つれど、京には[数|す]十年なき事也と、
[老翁|らうをう]も語りけらし。[陽気|やうき]地中にこもりて[陰気|いんき]にをさへ
られ出る事あたはざれば、地中にて[震動|しんどう]するゆへ地ふ
るふ、[素問|そもん]には風[勝則地動|かつときはちうごく]といへり。風気は陽気也。
風の地中にこもりて出る事あたはざる故也。人の[瘧|おこり]
をふるふを見るに、内[熱|ねつ]して外さむく、[表|へう]の[陰気|いんき]さか
りにして[裏|り]の[陽熱|やうねつ]出る事あたはざれば、[裏|り]にて[震動|しんどう]す
るゆへに、一[身|しん]わなゝきふるふ地震とおなじ理なり。
しばらく有て[内熱|ないねつ]外に出て[表熱|へうねつ]さかんになれば、ふる
ひやむ也。これにてしるべし。[震|しん]の[卦|け]は二陰の下に一
陽あり。陽のぼらんとすれ共、陰のためにをさへられ
てのぼりえざる時[震動|しんどう]する也。地中にしては[地震|ふる]ふな
り。[虗空|こくう]にしては[雷|らい]と成其理一なり。