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項目 内容
ID J2600039
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1596/09/05
和暦 文禄五年閏七月十三日
綱文 慶長元年閏七月十三日(一五九六・九・五)〔近畿・中国・四国〕
書名 〔土木学会誌 第八十巻第七号〕H7・6・15 土木学会
本文
[未校訂](狭山池(大阪狭山市)ダム事業 
歴史に残る土木
歴史を創る土木
)阿部玲子著
はじめに 大阪狭山市の中央に位置し、日本最古のダム形式のた
め池である「狭山池」。この狭山池ダム工事にスポット
を当ててみよう。狭山池ダム工事は治水対策のために行
われるものであるが、同時に土木遺産である既設堤体そ
のものの保存等の歴史的ダム保全事業も行っている。
歴史
 これまでの調査で明らかとなった狭山池の歴史を紐解
いていくこととしよう。
 狭山池の築造時期については古事記や日本書紀などの
文献から紀元前後とする説がある一方、最近の調査によ
ると堤体から出土した須恵器(すえき)の窯跡等から六世
紀後半の可能性が考えられる。その後少なくとも十回の
改修工事が行われており、その中でも大規模な改修工事
は、奈良時代において名僧行基が行ったものが挙げられ
る。ここでは築造された堤体の層には広葉樹の葉が十~
十五㎝間隔に何層にも敷き並べられている。これは盛土
の締め固めや軟弱な地盤の足場対策等のために用いられ
たと考えられる。当時の最新の土木工法が彷彿とする場
面である。この広葉樹の葉は、発掘当初は瑞々しい緑色
を呈していたが、外気に触れて二十分程度で茶色へと変
化するという一瞬のロマンに出会ったと聞いている。ま
た、鎌倉時代には東大寺再建に務めた重源が、さらに江
戸時代初期には豊臣秀頼の命により片桐且元が大改修を
行っている。秀頼の命で行われた改修では「尺八樋(ひ)」
と呼ばれる取水施設が造られている。この樋に用いられ
た巨大な木材は、大型木造船のリサイクル品であること
が確認されている。これは豊臣秀吉の朝鮮出兵時に活躍
した軍船だった可能性も示唆されている。同時期に護岸
工事も行われており、丸太を約四十度の角度で土中に打
ち込み縦横の横木を渡してクサビで連結、表層部には水
はけをよくする石を、内部には土を詰めて護岸を形成し
ている。現代の土木技術に通ずる基礎がここに見られる。
地震
 堤体から過去に起こった大規模な地震の痕跡も発見さ
れている。池内の沖積層には液状化と見られる噴砂の跡
として水平の地層を上下に貫く亀裂が見つかっている。
堤体の池の内側には約二十mにわたって土砂が迫り出し
ている。噴砂の先端付近とつぶれた堤体の土砂の上に同
時代の砂礫が堆積しており、地震によって堤体の崩壊が
発生したものであると考えられる。この砂礫層に江戸時
代の瓦が含まれていることから、この時期に該当する地
震として京都伏見城天守閣を倒壊させた慶長元年(一五
九六年)伏見地震(推定震度七)の可能性が強い。
出典 日本の歴史地震史料 拾遺
ページ 20
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
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