[未校訂](狭山池(大阪狭山市)ダム事業
歴史に残る土木
歴史を創る土木
)阿部玲子著
はじめに 大阪狭山市の中央に位置し、日本最古のダム形式のた
め池である「狭山池」。この狭山池ダム工事にスポット
を当ててみよう。狭山池ダム工事は治水対策のために行
われるものであるが、同時に土木遺産である既設堤体そ
のものの保存等の歴史的ダム保全事業も行っている。
歴史
これまでの調査で明らかとなった狭山池の歴史を紐解
いていくこととしよう。
狭山池の築造時期については古事記や日本書紀などの
文献から紀元前後とする説がある一方、最近の調査によ
ると堤体から出土した須恵器(すえき)の窯跡等から六世
紀後半の可能性が考えられる。その後少なくとも十回の
改修工事が行われており、その中でも大規模な改修工事
は、奈良時代において名僧行基が行ったものが挙げられ
る。ここでは築造された堤体の層には広葉樹の葉が十~
十五㎝間隔に何層にも敷き並べられている。これは盛土
の締め固めや軟弱な地盤の足場対策等のために用いられ
たと考えられる。当時の最新の土木工法が彷彿とする場
面である。この広葉樹の葉は、発掘当初は瑞々しい緑色
を呈していたが、外気に触れて二十分程度で茶色へと変
化するという一瞬のロマンに出会ったと聞いている。ま
た、鎌倉時代には東大寺再建に務めた重源が、さらに江
戸時代初期には豊臣秀頼の命により片桐且元が大改修を
行っている。秀頼の命で行われた改修では「尺八樋(ひ)」
と呼ばれる取水施設が造られている。この樋に用いられ
た巨大な木材は、大型木造船のリサイクル品であること
が確認されている。これは豊臣秀吉の朝鮮出兵時に活躍
した軍船だった可能性も示唆されている。同時期に護岸
工事も行われており、丸太を約四十度の角度で土中に打
ち込み縦横の横木を渡してクサビで連結、表層部には水
はけをよくする石を、内部には土を詰めて護岸を形成し
ている。現代の土木技術に通ずる基礎がここに見られる。
地震
堤体から過去に起こった大規模な地震の痕跡も発見さ
れている。池内の沖積層には液状化と見られる噴砂の跡
として水平の地層を上下に貫く亀裂が見つかっている。
堤体の池の内側には約二十mにわたって土砂が迫り出し
ている。噴砂の先端付近とつぶれた堤体の土砂の上に同
時代の砂礫が堆積しており、地震によって堤体の崩壊が
発生したものであると考えられる。この砂礫層に江戸時
代の瓦が含まれていることから、この時期に該当する地
震として京都伏見城天守閣を倒壊させた慶長元年(一五
九六年)伏見地震(推定震度七)の可能性が強い。