[未校訂]三ヶ日町史編纂委員会編S55・2・10 三ヶ日町発行
高屋の瀬と宝田(佐久米) 万楽海岸南方五〇〇m程に高
屋の瀬といって湖底の浅くなった所がひろがってい
る。此所には数百戸の村があったが明応の大地震大津
波で陥没して僅かに七戸の住民が助かったのみである
と伝えている。此の高屋の瀬の東北部を特に宝田とよ
んでいるがそれは宝田寺という寺院があったからであ
るという。
長橋(大崎)及び七かいの渡し(佐久米) 大崎弘法鼻より
庄内内山に長橋がかかっていて徒歩で往来ができたと
か。明応の大地震大津波で陥没したと伝えられる高屋
村より庄内に渡る狭い七かいの渡しがあり、時に架橋
されたことがあり、太古の主要な街道は多米より瀬戸
をこえ大崎とかこの高屋より庄内に渡り、東方に向か
ったのだという伝説も伝えられている。