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項目 内容
ID J2600014
西暦(綱文)
(ユリウス暦)
1498/09/11
西暦(綱文)
(先発グレゴリオ暦)
1498/09/20
和暦 明応七年八月二十五日
綱文 明応七年八月二十五日(一四九八・九・二〇)〔伊勢・紀伊・諸国〕
書名 〔二宮町史 通史編〕○神奈川県H6・3・31 二宮町編・発行
本文
[未校訂]明応の地震(前略)
 この地震で、二宮近辺でも崖崩れ等の被害があった。
その一つは中村川の河口近くで生じた。当時、現在のJ
R鉄橋と小田原・厚木道路との間には湖(中村湖、筆者
命名)があり、ここから流れ出ていた川を[厩川|うまやがわ]といい、
現在のJR鉄橋付近から流路を西に変え、前川で海に注
いでいた。その流路の痕跡はJR線沿いの地形に残って
いる。前川は厩川の[訛|なまり]であるという(志澤、年不詳)。
志澤選(談)によれば、小田原市中村原禅龍寺の北には、
この湖の渡し場があったという。その地点の高度を、現
地で確かめてみると、約二五メートルとなる。これによ
って、中村湖を再現したものが図5(省略)である。
 この地震によって生じた崖崩れのため、厩川は橘中学
校の南で堰止められた。そのため、中村湖の水位が上が
り、南方に発達していた砂丘を押し切って、直接海に流
れ出るようになった。これが押切の小字の起こりである。
『新編相模国風土記稿』(長坂、一九七五)には、次の記
事がある。
 「古は村内字根からみに堤ありて、曲流し、西隣足柄
下郡前川村に注ぎしが、中古水溢し、彼堤崩壊せし後、
今の水路となれりと云」
出典 日本の歴史地震史料 拾遺
ページ 6
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 神奈川
市区町村 二宮【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

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