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項目 内容
ID J2500738
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1855/11/11
和暦 安政二年十月二日
綱文 安政二年十月二日(一八五五・一一・一一)〔江戸及び近郊〕
書名 〔慶勝日記〕○名古屋徳川林政史研究所
本文
[未校訂](十月)七日
昨日江都より一文字にて(カ)申来二日夜四時大震市谷大損所出
来夫々申来諸家大火相成奉紙ニ難尽次第依貞慎院様□
其外御機嫌伺として
戸田孫六
使ニ今晩出立之事
十一日
弐日十文字字にて地震之為觸申来
□□役
海部左近右衛門
太田市郎平
炮画図面さし出候事
十二日
(前略)
去二日夜東都大地震有之趣にて一文字申来市谷之方ハ世上
ニ比候得は□世上にしてハ死亡之人五万人も有之候よし可
憐事ニ候其内今度遠カ氏之義ハ焼失ニ相成但馬殿□諸道具こ
と〳〵焼亡今日ニ難渋之よしニ付先不取敢いろ〳〵□□遣
し候事江戸より申来右ニ付而はお見舞なと使ニ申付藤十郎
迄申遣左兵衛尾城より相廻し遣し候事手紙之義ハ如例四濱
より相廻し候事付而は今日不時右□さし上候事左ニ示申候
遠藤但馬守殿江
大小 一腰
袴地 一反
式部少輔との江
同断
迪吉とのへ
袴地 一反
右之通相廻し候事
今日中山知右衛門より筒画出
六十 六十一 五十九
公辺にて被仰出候ハ大地震ニ付焼失之面々ハ勝手次第御暇
被下候との事御旗本其外江拝借金被下金有之候事御城書ニ
ミへたり
廿三日晴
(前略)
一江戸表ゟ地震普請之義申遣香風(亭カ)事
出典 新収日本地震史料 続補遺 別巻
ページ 1118
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 愛知
市区町村 名古屋【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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