[未校訂](前略)竹ヶ岡陣屋の長屋が倒潰して足軽二名が圧死した。
『丸日記』はこの地震について次のように記している。
「当村なども家六、七軒程も潰れ、その外家毎に或は横
になり、壁落ち、柱折れ、ひさしなど打たおれ、戸障子の
類は残らず打かえし、少しの間百年の寿命をちぢめ、唯一
人驚かざるものなし。道々、山々、河岸など或は崩れ、又
は大割れになり候。その夜は家の内にいる者一人もなく、
皆々庭へ出て戸など置、その上にて夜を明かし候。」と記
し、その後も昼夜二、三度、或は六、七度ずつゆれるため、
十二、三日の間も農業・手業を止め、夜は庭で明かし、そ
の後、家に入っても戸をしめず、[門口|かどぐち]近くに寝てすぐに逃
出せるようにし、三十日もして、少々安心したという。
「その後段々承り候処、この近辺一〇里四方位の大地震の
様子、江戸などより二〇里も遠くは少々の地震に候由、後
にて承り候。」と範囲の小さかったことを記している。