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項目 内容
ID J2500669
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1855/11/11
和暦 安政二年十月二日
綱文 安政二年十月二日(一八五五・一一・一一)〔江戸及び近郊〕
書名 〔富津市史 通史〕富津市史編さん委員会編S57・3・31 富津市発行
本文
[未校訂](前略)竹ヶ岡陣屋の長屋が倒潰して足軽二名が圧死した。
 『丸日記』はこの地震について次のように記している。
 「当村なども家六、七軒程も潰れ、その外家毎に或は横
になり、壁落ち、柱折れ、ひさしなど打たおれ、戸障子の
類は残らず打かえし、少しの間百年の寿命をちぢめ、唯一
人驚かざるものなし。道々、山々、河岸など或は崩れ、又
は大割れになり候。その夜は家の内にいる者一人もなく、
皆々庭へ出て戸など置、その上にて夜を明かし候。」と記
し、その後も昼夜二、三度、或は六、七度ずつゆれるため、
十二、三日の間も農業・手業を止め、夜は庭で明かし、そ
の後、家に入っても戸をしめず、[門口|かどぐち]近くに寝てすぐに逃
出せるようにし、三十日もして、少々安心したという。
「その後段々承り候処、この近辺一〇里四方位の大地震の
様子、江戸などより二〇里も遠くは少々の地震に候由、後
にて承り候。」と範囲の小さかったことを記している。
出典 新収日本地震史料 続補遺 別巻
ページ 1018
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 千葉
市区町村 富津【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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