[未校訂]「安政二乙卯年十月二日大地震見聞実記
後日心得草家内之事 」
安政二乙卯年中住居致し所は南本所ばんハ町ニ而御蔵前の
和泉屋源左衛門地面ニ而裏之方は広く別荘ニ相成候居々前
長屋ニ而間口六間奥行三間之平家ニ而横住居之様躰ニ居候
入口弐畳敷一ト間次七畳敷其次四畳敷此処ニ勝手付有之候
此処ゟ次ニ四畳半敷後ろ方は物置ニ致し見セの方ニ而商ひ
致し候事 此其節母当年六十九才私四十才妻てつ三十三
才并伜新平は当年六月八日出生ニ而御座候
十月二日此以前よりハ少し母事不快ニ付夜分は早く見セの
四畳半の方ニ打臥近辺の按摩久松与申者参り療治致し候妻
は伜新平ヲ抱き七畳敷の間ニ打臥居申候私事は母の方ニ参
り療治致し□彼是伽咄しなど致し候内ニ療治も終り久
悦も(ママ)帰り候まゝ母にも暇乞なと致し候うち四ツ時ニ相成申
候夫より七畳の方江参り寐支度致し横ニなり煙草一ふく吸
付終り候而枕に付候処に天井の方に而がた〳〵と物音致し
候まゝ鼠のあれ候哉と存居候処妻事地震なりと申故早速飛
起次手の障子明ながら新平ノ片手□て引□ながら弐畳の間
ニ重だんす置候処へ引付候ニ引れ妻も参り候折からみしゝゝ
と音して天窓の上へ家潰れ懸り候まゝ取あへず片手□し
請留候処たんす其外六枚折屛風等御座候而是らへ立懸候跡
ハ私共たんすへひたと寄添居候まゝ居候所丈は少々物の合
ニ成申候得とも手をも延しかたく□ニ相成申候新平は驚キ
泣出し候□手さくりの廻を撫見□□所壁土くつれわか皃
へ一面に懸り候様子故手ニ而はらひ早速□ヲ付候へと申候
処妻事ハ衣類の居(ママ)ヲ物ニ挟まれ自由ニ駈付兼候得共兎角致
し駆付□間泣止る□うち又々地しん致し□根太下
へ落申候得は先は無事ニ御座候最初飛起新平へたんす□側
へ引付置候て母の方へ参り可申心得ニ而候処□〳〵其間
もなく漸く新平ヲ引付候斗ニて家潰れ懸り候まゝ致方なく
母の方ヲ気遣ひ申候得は其手□もなく定而怪我致されたる
事□万一の事も是あり候得は我々斗助り候て母ニ不
慮の事□世間へ対し申分なしがたくと□々身ヲもし候
へは其セんもなく候 跡ニ而はかように記しもいたし候得
共最初飛起候よく次の間へ参り潰れ候間の事は只々夢の如
くニ而御座候潰れて身動きもならず候得ども先は助り候と
存し候ニ而より少し跡先の事ヲ存し候是迄は□何事も弁
へなくいかやうに強く地しん致し候哉さらにどん〳〵申□
□位の□御座候其内ニ世間ニも人声など致し裏別荘
ニ被致候啓助殿御夫婦の声も致し壁の破れより灯のかげ致
し候まゝ声のかけ候て私共事ハ此所に潰され居候得共無事
ニ居候間何卒母の方気遣敷御座候間願上候と度々大音ニて
候まゝ聞付られ早速見セの四畳半の方へ参られ候様子ニ御
座候得共一体潰れ候事故 上より色々声ヲ懸母を呼呉候得
共一向に様子相知れかたく様子ニ御座候間私潰され居候得
共心ならず何卒様子承り度と心配仕候其内向ふだるまや亭
主くしやの御子息など手伝呉られ候て四畳半の方の家根瓦
なと□引落し家根ヲ少〳〵引放し候得共何方のあたりに母
の被存候哉勝手も知れ兼候而障(カ)□候其内ニ私潰され居□
□申□て(は)所々より出火もあり候様子又は近辺よりの出火御
座候様子ニ而人々早く立退不申候而は迯難可申抔申も承り
猶々心ならず母の様子も知れ兼申□まゝ無拠又々声ヲ立左
様ならハ先々私方の壁の潰れ懸り候まゝ御崩し下さるべく
私出候て母の方様子尋ね可申と申候へはくしやの子息啓助
抔数人ニ而壁ヲ打破りくれ申候まゝ内よりこれを力に致し
色々崩れ落懸り居候品々ヲ取除く漸く新平ヲ出し貰ひ夫よ
り妻も這ひ入夫より私免角して潜り出候て早速母の居り候
方へ参り候所一面ニ潰れ居候まゝ大音にて声ヲ懸け候得共
一向に声も聞へ不申候まゝ実に一生懸命ニ存し前ニ人々屋
根瓦など引放し候處より色々致し取除け打砕き候得共中々
手一ツにては□かり不申候まゝ近辺の人々見かけ次第に何
卒久々御頼申し上申候得共其内所々出火又は近辺の出火に
て中々他人に構ひくれ不申候くしやの御子息と啓助抔少々
助けくれ候てやう〳〵梁たる木なと打砕〳〵いたし其時ど
き母へ声をかけ候処漸く母の答へ声聞へ候ニ付只今に取の
け可申候間□辛ぼういたし呉れ□ニ申候所母事も少し
も替る事な□居□しづかに怪我なと致さ□安
心は致し申□半時□焼未□申候□人□
只々心急ぎ致し何方に出火御座候□中々見申候気もならず
潰れ□くしやの子息□啓助□は母の無事なるを
聞付□近火の事□夫々に□一人にて色々致し啓
助殿持て参に□夫より中二階の天井板を二三枚引
放□候処漸く母の夜着の裾の処出候まし中々不残取のけ
候事はなりかたく候付裾の方ゟぬけ出られ候左様ニなし下
され候やうに申候処中々身動きも致しかたく□申され候
まゝ又々色々打くだき向へ手をさし入て見候所に見の棚な
どにあり候品々ひしと落重り御座候まゝ手探り□引出しゝゝ
候まゝ漸く少々夜着の内くつろき候よしニ付夫より裾のか
たより引下りて足の方よりやうやう〳〵と抜け出て□(先々カ)□無
事にて□引出し候まゝ先々近辺危けなき所へ立退セ可
申と存じ母へすゝめ背負ハセるへしとすゝめて背負候処母
事□いたし候□歩行候方宜敷□□され候まゝ別荘の土
間に御座候古草履□□妻ハこれ迄新平ヲ□て母を気遣
ひ居候まゝ一所に多もの薬師の境内へ立退候よふに申付母
の手ヲ引家々の潰れ候上□□は所々の庇なと倒れ候上を通
らセ先は薬師の境内迄家内一同無事□立退申候処右之仕
合故皆々寝間着のまゝにて候別而私事ハ下帯もなく細帯□
□にて素足ニ御座候夫より潰れ跡へ立帰りて倒れちり□之
候鴨居様の物ニて私共潜り出し壁の脇ヲ打崩し候処私共片
寄居候たんすの後へ出候まゝ又々潜り入候てたんすの引出
しヲ抜んと手ヲ懸け候処上へ潰れ懸り候重ミに押へられや
う〳〵動き不申開らきを明んと存し候得共是も同断ニ而致
しかたなく候処又々外へ出てたんすのうしろの方を右の鴨
居にて打砕き引出しヲうしろへ抜んと致し候得共動き不申
其□に致し類焼致し候節はいたし方もなくと存し候まゝ無
拠又々引出しヲも打砕□ハ漸く中にこれあり候衣類抔取出
し崩れ候所より外へ転ひ出候櫃などへ取入候て一ト先薬師
境内へ持参り申候て又立場□(よりカ)あちこち打砕□潜り入候
てハ手に当り候品ヲ引□候得共中々道具類抔へ手ヲ付候
事なりがたく候まゝ衣類抔引出し其内ニ私ふるもゝ引も御
座候まゝまつこれをはき手拭なども新敷□たんすに入あり
候まゝそれを替々かむり薬師境内ニ而母にも着ものなど打
着セ持運ひ候品々の影に居らセ候先は金銭の少□貯への
分も取出し候まゝ処ニ付最早此まゝ類焼致し候ても致し方
もなくと存し□候□はじめて出火の方を見懸り候処半丁
余先の方焼居り候まし母などへもたとへ此辺迄焼参り候(カ)共
此処に居り候得は気遣ひなく候まし安心なされ御出なされ
□申聞く其内ニは啓助様御室(家)内□(抔カ)も同じく此所へ参ら
れ啓助様も夜着己其外を一人して度々運ひ申され候私ハ又々
立□所々見廻りなど致し何卒仏だんの過去帳取出し
□屋根を打崩しなど致し賓らと思ふ所より手をさし
□さつと見申候□□仏だんもミじんになり居候得共色々
と物なとにて搔さぐり漸く過去帳のはし引出し候まゝ段々
と引出し候処二ツ三ツに引切り候得ども漸く取出し□
□不呉(カ)致候得共致しかたなく先比□又々立退
場へ参り候処近火□半丁程先にて鎮り申候得共駒形
辺其外所々の火も未た盛んに御座候しかしながら宅の方も
心遣いもなく候得共潰れ候まゝにて□用心も心もとな
く候まし啓助様と申合両人替る〳〵に壱人宛見張致し居申
候処へ沢助殿事此大乱の中□母事を気遣ひ御蔵前より尋
参られ候折ふし私見張り居り候まゝ早速面会致し如此潰れ
候得とも一同少々の怪我もなく母其外共薬師境内へ立退居
申候まよ申候処御蔵前のかたハ如何のよし承り候処御一同
御別条もなく候段にて候まゝ私ハ此所に番ながら居り候間
薬師境内ニ参られ候て皆々へ御逢被下候ひと申候て相別れ
居候処へ啓助様替りて参られ沢助様お出なされ候間境内へ
も□れ□申され候まゝ□殿□見張り相願候て立退処
へ参り候処沢助殿も一同無事ヲ祝ひ遣ひ紙手拭其外金子壱
両持参ニ而先つ請取置れ候趣寒気の時分故立帰り飯ニても
焚為持遣し可申候まゝ必々気をもミ不□候様ニ呉れ〳
〵と申其上私事寝間着のまゝにて居候ヲミられケ様なる事
もあらんかと存し着物一つ余分と重ね参り候まゝ是を置て
参るべしと達而申され候得共最早少々の着類も取出し候ま
し処而よろしく段申候得とも心配之様ニ相見へ候まゝ此通
り着候物も候得共身の取廻し(リ)あんして候まゝ着し不申と見
せ候間其まゝニ而帰られ申候それに御牢内囚人牢払ひニて
往来乱ぼう致し候由ニて沢助殿も縄など□メ参られ候中々
此大乱の中他方へも往来なども無之時也是迄参られ候ニも
駕屋川岸渡しハ無之東橋を廻り参られ候ニは駒形辺一面の
火事にて容易ならさる所を心遣ひ致され尋られ候□故帰り
途中も又々案んしられ候まゝ母事も殊の外気遣ひ致され此
方事ハ見られ候通り替り無事にて居候まゝかならず心遣ひ
なく途中大事に参られ候ゆうくれ〳〵申候て立別れ申候夫
より私また〳〵潰れ跡へ参り啓助様と立替り見張り致し候
うち多葉粉にても見出し度と存し候得共致しかたなく候まゝ
別荘の勝手へ参り見うけ申候処㐂世留多葉粉御座候まゝこ
れを持また土びん御座候間井戸ばたにて洗ひ向ふくしやに
てハ家も潰れ不申候まゝ火鉢もありて土びん□少々
ハぬる□居り候まゝ是(之)をもらひ候て右の薬師境内へ□
又長屋□焼芋屋御座候ハバ庇斗り倒れ候ヲ見候ニ隣□
人□焼芋などの残りヲ貰ひ候様子故参り候而あり候ハバ少々
にても呉候様申候所最早少しもなく□ニ処其□
□年寄私貰ひ候て持居候まゝ上ケ□と申され候まゝ芋
□□□立退場へ持参り母并妻啓助様の方娘御等へ半分
ヅゝ分□□又表出格子の障子弐枚外へ倒れ居申候間是
を持参り申ニて風除に致し置又出帰りなど致し居候処向ふ
側長家ハ潰れ不申庇など倒れ申候まゝ皆々家内子供抔夫々
へ立退セ亭主ハ皆々帰り居候而外ニ□又は内ニ入火など
起し当りなど致し皆々と咄しなど致し居り処だるまやの御
亭主の申され候もろうそくまて出され不申候処さしつかへ
□申され候まゝ見セの潰れ跡へ□表のかた少々取のけ
見候処ろうそく□引出し見へ候得共物に押へられ出兼候
ヲ同人見られ押へ居候箱□し候てはあしく候哉と申され候
間苦からすと申候得共つかへ候箱ヲ鳶口にて折こはし候間
ろうそくの引出し斗漸く引出し候而五六十も□し申候処こ
れをミて皃も知らざる人なと無心申され候まゝそれ〳〵へ
少々ツゝなど□し申候ろうそく入の引出し折ても居りかた
く候まゝくしやの内へ持いたし御入用ならば遣ひ下され度
此所へ□下され候様相たのみ□兎かく致し候うち沢
助殿方より飯を焚ミそ油添へて若ひ衆持来り呉候よし啓助
様参り被申候間入替り参り□少し給申候得共一向に心□く
なり候哉□□もなく殊ニ空腹とも存し不申候 其内折々薬
師門前へ出て見遺(懸)り候に川向ふ駒形のかたハ一面に焼弘(カ)ま
り候得とも火消なども一向に見え不申其外吉原の方又は芝
居町の方の火事盛んに見え申候得とも平生と違ひにて往来
致し候人もなく候まゝ此□(分)にてはいつ鎮り可申哉与心なら
ずそんしゟ只々一刻も早く夜あけ候ハヽ人心も落着可申与
そんし候のミニ御座候同長屋四軒御座候処此人々の家々潰
れ不申□軒を倒し候斗ニ候得とも両三人怪我致し申候此
人々ハ早速心付候て裏の方別荘の庭の塀を破りて庭の内へ
替々諸道具等を持出し申候得共其中々右之気も付不申啓助
様方ニても不残薬師境内へ立退候位の事ニ而御座候私も跡
にて跡(ママ)ニて是を心付候まゝ潰れ候所より少々ツヽ出候もの
を取出し庭の築山の茂ミ池の向へ出し置候兎角致し候うち
に漸く夜もあけ申候まゝ啓助様私両人にて運ひ出し候夜く
を又々運ひ返し申候て先別荘へ入置申候此節ニ至り諸方の
火事皆々鎮り申候得共吉原辺より芝居町辺花川戸馬道辺の
□斗り未た鎮り不申候夫々皆々先々別荘へ参り候而火
など起し湯などいたし皆々に食事等致させ申候別荘も悉く
壁なども損し候て混乱ニ相成あらましに取片付置先暫く休
息致し申候処別荘の土蔵弐ケ所其壁こと〳〵く□れ□し候
て台所などハ小山のごとくに壁土にて塞り候まゝ煮焼な
(ママ)と(カ)なり兼庭の中へ瓦にて竃をこしらへ申候啓助殿事ハ□
□店の方へ見舞ながら出られ申候跡にて私潰れ跡へ□
参り所々〳〵少々ツヽ手の及ひ候所は取除又は折崩し□
なと取出し候得ども中々一人の手業に叶ひ申さず候まゝ□
□案し申候若其□□など訪候節は中に潰れ有之候たんす
□□(フトンか)其外諸道具等もぬれ可申と存如何致し可申哉与存候処
へ昼後ニ至り沢助殿事又々参られ候まゝ何卒三人雇人出来
□□□合(カ)致し御遣し下され□中人十人ニては何とも致しか
たなくと相談致し候得共此節の事故雇人もあるまじく与申
され両人にて色々骨折候て又々少し道具等取出し母の□居
候所ヲも種々に取崩し夜具ヲも取出し私共伏居り候所も色々
致し夜具類引出し候得共ふとんは梁其外ニ押れ中々出し難
く候まゝ先其ト(ママ)ニ致置申候さくはんより是迄骨折候得共諸
道具類三分一も出し不申候沢助殿申され候は少しニ而も気
を休め眠り候やうに□□申され候故別荘の座敷にて日の当
り候処ニ而横になり申候得とも中々眠り候わけにもなりが
たく尤さく夜より引続き地じんは度々御座候それに人々申
候はまださく夜のゆり返し有之候まゝにて人々皆野宿の仕
度とり〴〵ニ御座候間私も其心構ひ致し庭の築山の上壱抱
へなど御座候五葉の松の木を片どり候て色々致し畳三畳な
ど敷候て竹又は崩れ候木抔ニ而構ひ又は天井は唐子障子又
は敷□すだれなどにて囲ひ昼のうちより度々地じん御座候
間母ハ是へ居らセ置候夜分になり候節は妻数平啓助様御家
人始御□も此所へ夜着ふとん入候て休セ私は右の外へ畳一
畳敷小火鉢を置候て灯ちん二ツともし□着ヲ着し頭き
んヲ冠り終夜番ばんいたし様子等にて庭の内別荘屋敷〳〵
終夜見廻り申候此夕方向ふくしやニ而もゆり返し用心のた
め野宿いたし度候得とも差当り場所無之候間私潰れ跡ヲ今
ばんかしくれ候□申され人々の居り候たけ向ふ人数にて少々
取崩し候□私ふとんまくらなど引出しくれ申候而畳敷候
所へ囲ひ致し此夜はくしや家内是にて明し申され候又庭の
内池の向ふかたハ長屋四軒の人々色々囲ひ致し皆々灯ちん
など付て宿し申又別荘地面のうら続き石屋御座候か是も用
心のためとて境の塀を崩し別荘庭内私共囲ひの脇へ立具な
どにて囲ひ是に居り申候まゝ時々半々に屋敷の亭主も拍子
木にて廻り参り又うら境ひ尼寺の境内ニも夫々囲ひ致し大
勢野宿致し居候間拍子木又は金盥などたゝき用心致し候まゝ
一同今にもゆり返し参り候哉とそんし居候少しツヽの地じ
んハ折々御座候得共先ハかくべつの事もなく明六ツ時を聞
空も志らみ申し候まゝ台所へ参り見廻し候処壁土の中に唐
金の小鍋壱ツ御座候を見つけ洗ひ候てさく夜沢助殿ゟ遣し
呉候味噌にて火鉢にて雑水□焚此□(分)にては先□候まし皆々
起候へし一ト□入致□食し申候ニ此時初□□味ひ
□此雑水ヲ身ニな□食し申候其内皆々も起出
申候まゝ入替り此処にて其まゝに夜具引冠り眠り可申と存
し居□一向に目合不申候得ども心ニ□居申うち最早
四ツ時ニも相成□少し身内も暖り眠気付候処へ浅草
寺内人形やの大工常次郎殿自分類焼致され候得共私方を気
遣ひ候て見舞□早速起出挨拶致し御家内は如何致
し御出なられ□承り候処観音様仁王門内山王様西殿に立
ち廻り居り申候まゝ此御方も心ニ懸り候得共先昨日銀座伜
方へ被参候□見申候所皆々無事御座候間直さま此方へ参り
可申与存候得共一昨夜よりの事故殊の外□(労)れ夫の日暮に□
□相成候間山王□江帰り申候間家内も此方案し申候間今□
□御尋申候御様子も□度と存参り申候由之
申候間此方も御覧の通り潰れ申候間先別荘江一(前々)所ニ居り申
候得共此□(分)ニ而も相成がたく候間潰れ家取片付は小屋がけ
にても住(カ)も致し相志のぎ申度と存候得共未た手伝ひ候の人
も無之候間困り申候左様にも相成申とも御前様御家内御引
連れなされ此方へ御出なされ候てもよろしくとは存候得と
も思召し処(度)も如何と申候得は拝殿をかり居候而も永々居り
候わけニも相成不申其上拝殿も余程倒れ懸□間心
遣ひにもこれあり銀座(カ)の伜も浦賀□の細川様御台場へ参
り居留主中ニ候得共嫁共申候は此方へ早々参り候様ニと申
候得とも遠方へ参り候も此節の事故何か不都合にて明店な
とハ申迠もなくともかくも此御方へ参り御様子次第御相談
も申し度と存し参り候間左様ニなし下され候ハヽ大きに都
合もよろしく候まゝ明朝より私道具相持参り候間三人手伝
ひの人御頼なされ候て私倶々取片付仮小屋致し可申候とて
先此相談を色々致し弥々明日より被参候筈にて帰られ申候
夫より母の申され候には妻の里方馬道竹門園崎屋徳兵衛殿
も類焼致され候事故鳥渡見舞に参り此方皆々無事のよしも
志らセ申度と申され候間此時々はじめて表町より川岸通り
へ出候而見渡し申候処所々潰れ家往来江一杯に倒れ道も無
之皆々潰れ家の上を往来致し候所壱丁のうちにて半町のほ
とハかくのごとく東橋の両橋□(詰)の敷石の所崩れ込居申候而
橋は格別傷之ミえ不申候花川戸町東側多分残り西側ハ戸□
長屋まつ先不残焼失申候園崎屋物置場山の宿川岸に御座候
而是は類焼致し不申候間多分どれも立退被居候ハんと存し
参り候処皆々此処□(江)被居候間見舞など申入此方へ事のよし
も申入候処園崎屋ニも皆々無事の段与申候間夫より中田を
通り矢大臣門ヲ入見候処山内の混雑申よふもなく近辺遠方
よりも山内へ立退居候者夥敷懸見聞(カ)の分は不残引移り居其
外本堂椽の下は不及申山内茶見セ空地の所へは夫々に建具
竹木にて囲ひ致し伝法院玄関前馬つなき場より庭内迄皆々
夫々に思ひ致し立退居申□観音様は花やしきへ御(ママ、立カ)出退ニ相
成置申□地内ニ而□(扇屋)□森川之儀抔通りながら見舞申入雷神
門江出て見申□菓子抔多く売居申候間先藁草り鞋共四五
足求め申候ニ一足三拾文ツヽニ而御座候菓子も少々求め東
橋へ参り申候間往来にてさんまを売居申候間百文ほど求め
申候尤当年はさんま只今まで見セ不申候夫より色々考え候
て入用ニ相成候品少し買求め候て帰り申候此節初而往還へ
出申候ニ変死の人間(カ)へ送り候様子にて桶等も此砌は中々用
ひがたく故用水桶又は四斗樽用心蔵或は葛籠などに入持行
候事壱丁の間にて四五人位ツヽ見受申候ニ付ても皆々無事
居り候事難有存候帰宅致し候所へ大坂源三郎様葺屋町より
見舞参られ申候其後いセ四郎の仁平殿見舞ニ参られ金(カ)五十
疋持参致され申候向ふ仕立屋兼而片付の節は手伝ひ可申与
被申候間明朝より参り呉候様頼置又長家内綿屋の若ひ者を
も同様ニ相頼申候其内夕方にも相成申候間又々夜前の通庭
築山へ寝所拵へなど致し候さく縄(カ)のまヽにては啓助様御家
内等皆々にては狭く私など一向外ニ斗居候而も人々窮屈ニ
候処□少々広く仕度なと致し申候夫に啓助様の事は今ば
ん店へ泊り番ニ来られ申候間男は私一人にて外は不残年寄
女子供斗にて候間殊ニ混乱中故心配致し今ばんも夜ばんさ
く夜の通り致し所々見廻り申候て夜を明し候て朝の食事な
ど致し候所へ浅草よりハ大工常次郎殿被参候間右手伝ひに
頼み申候二人と共に終日潰れ家等取片付候追々中より諸道
具など損し残り候分夫々に取出し大概に取片付先今日は畳
まで取出し申し候建具類は不残打砕漸く二三枚斗少し損し
候分御座候 是より日々二人又は三人ツヽ手伝ひ相頼常次
郎殿私共に骨折漸々九日十日頃に別荘の湯殿九尺ニ弐間御
座候ヲかり請これへ四間ニ壱間のさしかけいたし潰れ材木
類にて諸事致し俵などにて屋根葺たしさしかけの内九尺分
ヲ常次郎殿被居候積りニ致し十一日ニ常次郎殿家内も山王
様拝殿を引払ひ此方へ移リ申候而湯殿弐間ニ九尺御座候得
共中に仕切御座候而九尺四方の所へ畳四畳半敷込是へ母妻
新平とを休ませ私はさしかけの方に寝起致し申候然候処此
節ニ至るまで日々に地じん度々御座候間啓助様御家内も心
遣ひのよしニ而湯殿へ一所に当分寝さセ呉候よふに申され
候間無拠右四畳半の所へ啓助殿并御家内娘御迄毎夜参られ
殊の外混ざつ致し申候十月中は如此参られ候其後啓助様泊
り番の節は弐人共参られ宅の□は娘御斗十一月十日頃迄□
□参られ申候
竈は前の明地へ瓦にてこしらへ是にて煮焚致し雨天抔の節
の用意として今戸焼の竈一ツ調へ置申候
同長家の四軒の人々も四日頃より□々別荘庭の内へ小屋か
けの囲ひ致し当分これにて夜分は寝臥いたし申候此人々の
長家ハ潰れ不申候庇斗り倒れ候得とも芋屋の亭主下駄屋の
内義怪我いたし申候□下駄やの亭主も怪我いたし申候得と
も是は其節馬道角西之宮与申寄セ親類ニ而足へ参り居候而
怪我いたし申され候此人は右にて翌年三月中相果申候内義
は当分にて全快致し申候芋屋亭主も翌三月頃ニ而も全快ニ
は相成不申候得共追々よろしく御座候
十月八日上総□大地震事聞え候而五左衛門様態々御見舞
に御出下され候五左衛門様より□(芝)の事も子細承り候処此方
同様に潰れ候得とも皆々様御無事のよし承知仕候尤宇田川
丁ゟ沢助殿方迄四日頃ニ御尋下され候間其節御無事の段も
承り申候同月□□□私芝江御尋旁参り申候事
十月七日頃中之郷八軒町池田屋金兵衛殿始御揃との事被参
候間手前も如此ニ付御尋も申さす如何ニ御出なされ候哉と
承り申候処金兵衛殿事打臥居候処へ潰れ候間死去いたし候
段申され其外皆々無事のよし驚入候事 私此節□□いたし
居候事同日暮六ツ時又々大地しん御座候事
同前家主松兵衛殿方にて内義并子供衆若者三人死去の事は
ん□にても老母内義子供共三人死去之事
同畳屋堂家は潰れ可申候所外へ逃出し候処庇倒れ候て打れ
亭主即死畳やへ向ふだるまやの御子□□参り居候て同断逃
出し打れ候得共全快申候
薬師境内江立退候節近辺の人々大概は此所へ参り居申候其
砌同寺より怪我除の守の□しにて所化の衆立退居候ものへ
人別に賦り被申候而私共も人数だけ貰ひ申候家々倒れ申候
節即死致し候子供又は怪我致し候ものなと引連れ参り敷物
などし立具にて囲ひ致し死骸着類などにて覆ひ置候も見う
け申候誠ニ目も当られぬ事筆も記しかたく候
此番場町家主にて書役兼致し候新□与申人は地じんの節長
屋に居候間無恙外へかけ出し見申候処家々の潰れ候ニ而一
寸先も見へがたくほど黒煙り立候まゝ見合居漸々少々近辺
見へ候様ニ相成申候処居宅近所より出火之様子ヲ見付候まゝ
早速かけ付申し候間居宅長屋一面ニ倒れ居候て壱軒□
り候長屋より出火致候まゝ家内又壱人の召仕女とも家より
出候哉心元なく存し大音にて呼かけ候処潰れ家の下に相成
居候ニて両人共宴に居り候間早く出□され候□相答候
得共中々一人の手業にも叶わす出火にて近辺の人□自分
遁れ候事□致し居候事故他人に事□構ひ□かたく候
間致しかたなく一人にて種々相□□人□可申と身を
□火すでに焼まい□其身(カ)も危く相成候ニ付無拠
立退申候間□□に火うつり右両人共焼□致□候内外にて
□此始儀□無事是非なく□なくと
□此近辺ニて死亡の者多分御座候倒れ候上に出火□
格別ニ御座候此出火私宅半□(丁)余先まて焼参り□
十月四日□迄御見舞に参り候節花川戸町北の方木戸より
少し手前迄焼原ニ相成候往来に人立致居候間通り□ハ様子
承り申候所焼瓦なと落重り候間より人の首ミえ候よしニ而
候定めし物に打れ倒れ候て怪我いたし候哉又は即死致し候
哉其上焼落申候事ニて□んし□私此四五年程以前住宅
致し候南馬道ミそや佐の倉のくらは花川戸町分ニ而御座候
此長屋ニうなぎや御座候隣りに私住宅致し候此うなぎやニ
而承り申候地じんの節客人御座候而酒喰いたし帰らす候而
未たろじの外往着(カ)も出申されぬと存し候頃此地じん御座候
而吉原又は芝居町辺りに出火一所ニ相成此処□焼失致し
候跡ニて焼たゞれはい黒に相成居申候人の死骸□ろ□御
座候得共此大乱の砌故□れ人も差構不申追々□四五日□□□立
候て□たれも心あたりもなく一向構ひ申人もなく往来中に
あちこちまうはし六七日もこれあり候事其内犬など集り不
残喰ひ申候右の次第故に其侭に致し置□今□右の
死骸など尋ね参り候ものもなく候まゝ定めて遠方などの人
と存しられ候是に□ても□参られ候客人にてもあるへくや
とはなし申候
□和泉屋庄吉内次男下谷広小路辺り質店へ年季奉公ニ参
り居候処主人方の往居潰れ其上類焼致され家内中怪我もな
く候得共何一ツ貯へもなく質物入候土蔵其外共悉く焼失致
し候ニ付身上相立かたく主人夫婦共別れ〳〵与相成候而親
類方江引取られ申候ニ付奉公人も抱へ置かたく夫々ニ暇出
し申され候尤右の次第故銘々の仕着セ物等も皆々焼失□
□其節逃れ申候立の侭ニ而引渡され右ニ付親類方より手当
をして庄吉殿次男も金子壱両弐分添られ候て引取申候よし
右様身上仕舞候人も定て多くあるへくと存じられ申候
同月十二三日頃御□へ見舞ながら参り見申候処本堂客殿其
外不残潰れ位碑(牌)堂少し残り居候ニ住持其外被居申候間見舞
申入墓所へ参り見申候所此所へも前長屋其外近辺の人々立
退又は野宿にても致□少し目立候程の石碑は不残(ママ)り
折倒し御座候而中ニは打れ砕け候も御座候私方石碑を□
打□□石倒し地上に倒れ居申候間能々見候而後の方下の角少々欠
損し候斗ニ而格別の損しも無御座候得共台石抔余程合セ目
抔喰違ひ居直し不申候而は相成かたく候得共先は竿石ヲ取
上ケ置可申与存候得共一人の力には叶ひがたく候間寺の男
衆を相頼折節寺へ(ママ)も潰れ材木取退旁人足も参り居候間何卒
たばこ休ミの節なりとも一人手伝相頼なされて倒れ居候竿
石台石の上へあけ置呉□相頼候て此節茶菓子にても買
くれ候よふ申百文遺し置申し候夫ニま□石碑前に居置候手
□立の水鉢無御座候間近辺の墓所見廻り申し候得共無御座
候間是又相頼置見当り次第居置くれ候様ニ申置候其砌住持
の咄され候は二日の夜は□□本口の笹屋方に法事御座候ニ
付参り四ツ時前ニ笹屋方ヲ出候て池のはた仲町まて参り候
処殊の外地鳴り渡り候間地しんニ而も御座候哉と存候処両
側の家□一面に震出し往来もなり□(か)た□(く)其時のありさま
只事とは存し不申只今此処にて一命□り候事と存し候得共
何卒□
撞抬擡□
出申度と存しこけ転ひ致し漸く壱丁斗りの所退れ出広小路
へ出申候此時最早広小路は逃出候人々にて殊の外混ざつ致
し居候此様子にては寺も心元なく存し少々震れ止申候間中々
往来ハ通りがたくと存し上野の山へ入車坂へぬけ候て漸く
寺へ帰り□申候処如此潰れ居候しかし寺ニ居候ハヽ如何の
怪我いたし候も難斗外へ出候故無事ニ而□抔咄し致され
申候其後折々寺参り致し見□竿石を上へあけ置呉申候得
共水鉢無御座候間男衆へ尋ね申候所□尋ね申候得共一向
に見へ不申候得共猶又心懸置可申与申され候其後翌年□
□彼岸参りニ墓参致し候処未た見当り申さす候得共其後墓
参之節台石居直し目(カ)漆喰□致し直し度又は水鉢も新規拵へ
可申と存し最早墓石拵□笹屋方へ参り申候而相頼申候水鉢
ハ新規ニいたし何程にて出来可申哉と承り申候処水鉢斗に
て金三分弐朱も相懸り候よし申候間此節がらの事故少シは
高直ニても壱分位ならハ出来申へく与存居候所右の次第故
直段大きに相違致し候間今一度相談の上水鉢の分は相頼申
へく候得共墓石居直しの儀は早々ニ致しくれ候よふに申候
而夫より寺へ参り墓参致し見申□前々の水鉢墓石ニ居
候て御座候間ふしぎに存し台所へ参り男衆相尋申候所留主
にて候間此侭帰り懸けに又々石屋へより只今墓参致し候処
是迄尋候得共知れ申さす候水鉢出候て墓前ニ居御座候間先
水鉢之分は右ニ而よろしく候間居直しの儀早々相頼置帰宅
いたし母へも右の咄し致し石屋の直段など高直の事又折よ
く水鉢出候事なとよろこひ申候て其後墓参のセつ男衆へ相
尋申候処隣寺の垣境の外に半分埋ミ居申候ヲ見付候まゝ取
出し見候ニ御申置の形ニ御座候間其侭居置申候よしニ付礼
として弐百文遺し申候得は殊の外悦ひ度々厚く礼を申候此
かたにても三分弐朱候(ママ)ニ而も相談次第誂へ可申候存し候処
へ出候間弐百文遣し申候而も大きに徳用ニ御座候と申笑ひ
申候右旦那寺潰れ候ニ付仮普請造作其外奉加卯十二月納豆
配り之節申参り候間母共相談の上金百疋布□(施カ)ニ付申候事
大坂播磨屋市蔵様方よりも早速見舞状参り候得共取込中ゟ
返事も出し不申候間十月十五日迄彼地ニ而見合与居候処便
り無之候間気遣ひニ存られ候て同十六日彼地出立にて十月
晦日ニ江戸着被致翌朔日私宅方江参候上にて源三郎様方江
も即日被参候同月廿六日迄滞留被致候而帰坂之由候此節大
坂両家より見舞として金壱両被送候事
天王町和泉屋源兵衛様よりも見舞金壱両也(カ)代地様より金弐
分地主より長屋並□見舞金壱分代地様よりは其当座煮染抔
□被下和泉屋大七殿より茶ばん五ツ手拭二筋同藤助様ゟ手
拭二筋見舞として被送候事
十二月八日御救米頂戴に罷出候前夜より雪降出し明方ニ相
止申候朝正六ツ時より罷出申候間漸々夕方ニ帰宅仕候私(カ)宅
ニ而は同居人別共弐斗壱升頂戴致候
十月三日朝より町方会所より焚出し仰付れ大握り飯壱人ニ
付□配り方被仰付江戸中日々用心蔵の□物に積込
何百□となく同廿日まで被下置候事私も冥加のため一度頂
戴いたし家内一同ニ而頂戴いたし候事
湯屋は江戸中大概損し又は潰れ申候私宅近辺の湯屋共皆々
潰れ申候間当分湯なと無之其上皆々も家損し又は潰れなと
致し候ヲ日々取片付等にて労れ申候得共入湯致し候事もな
りかたく其上寒気の時分ニ而御座候間諸人困り申候間私共
かり請候湯殿に御座候水風呂桶大小二ツ御座候間大の方取
出し池の渕庭石の上に居申候て六日の夕方より日々焚候て
家内中又は長家の人々向ふ長屋の人々入湯致させ遣し候処
右儀聞及これ〳〵より入湯頼参り申候間□□ニ任セ申候て
十四五日頃迄右の通りニ致し候其内町内の湯や潰れ候ヲ板
囲ひ致し男湯の方斗焚はしめ申候間これ入参り申候然れと
も□当分は男女入込ニ而混ざつ申よふもなく小児などは入
湯なりかたくほと□向ふ長屋くしやの隣りに囲ひ
女御座候而小女一人遣ひ居り候処地しんの節両人共丸裸に
て湯具もなく逃出し候よし□□家は潰れ不申候得とも余ほ
ど傾き損し候まゝ着類出しニ這入兼困居候間同長屋の八百
や与三郎与申人見兼候間着類取出し遣し申し候
右同地面のニ内貸本や御座候而私居候時分は不断本抔貸見
申候此貸本や娘御座候而吉原町の□屋長嶋やと申ものゝ囲
ものニ而一所ニ住居申候所親の貸本やハ私共転宅致し候後
病死致し跡ニ而は娘両人の世話ニ相成居申候処地しんの砌
長嶋や此妾宅へ参り居候而早速一人外へうけ出し候所家は
潰れ申候而娘は家の下に相成り候得共怪我も致し不申候得
は潰れ家の下ニなり出兼候まゝ声ヲ立外へかけ出し候長嶋
やに出し呉候よふに申候処外にて同人相答候は吉原町に出
火の様子ニ付本宅の処心元なく候間出し居り候事なりがた
くと申□候て直□かけ付申候様子にて致し方なく候間大声
にて近辺の人々を呼立助けくれ候よふに申候間其内両三人
潰れ材木など取退くれ候てやふ〳〵娘母親両人外へ出助り
申候処右の吉原町の火事又は芝居町の火事一所に相成此所
も焼失致し申候間致しかたなく右の長嶋やヲ尋ね参り候処
本宅の方にては類焼の上亭主留守にて今に帰り不申候間妾
宅の方に居り申候事と此所へ尋ねに参り候など一向に行衛
相知れ不申候間定而かけ出し候途中ニ而怪我など致し相果
候上に焼亡の事とそんしられ候よし右囲ひものも□□かた
もなく其当分私懇意の医師春堂様方に世間の静り候迄世話
と相成居申候
北馬道竹門園崎□徳之助殿見舞ニ参られ候而咄され候は地
じんの夜同所土手外武蔵野と申料理やの娘御蔵前辺へ縁組
ニ相成此晩婚礼に付送り其外竹門近辺の日雇四五人相頼ま
れ先方へ送り□夫々に祝義酒代など貰ひ戻り候道にて此人々
諏訪町近辺にて居酒やに入り皆々酒食致し候節此地じんに
て銘々外へ迯出し候得共此大乱故連れの事も構ひがたく其
上駒形よりも出火致し吉原町辺又北馬道辺にも出火のよし
に付漸々迯帰り候て自分家内なと夫々始末致し申候所翌日
になり右五人の内弐人は迯帰申候得共三人の行衛知れ不申
候よし其者共の女房など心配致し其上宅は皆々類焼致し致
しかたなく立帰り候両人へ□相□候間夜前の始末申聞候
て外へかけ出候て怪我にても致居候哉中々其節は他人の事
構ひ候様子之事にてなく候間心当りの所又は酒食致し候□
□尋可申とて三人の女房達共々相尋候処右三人の死骸右
酒やの近辺所々に有之候此所も皆類焼致候間死骸も焼候得
共着類なと焼残り候にて相知れ夫々へ引取参り候得共宅も
類焼の事故致しかたなく銘々□焼跡へ引取参り菰□にて囲
ひ置申候親類店請人もあり候得共さく今の大乱中故致しか
たもなく□(五カ)日の夜分に至り焼残り候木などにて銘々夫の死
骸焼□し居候を焼直し致し候次第誠に目も当らぬ事にて候
よし相咄され申候
金龍山伝法院の方丈より台所のかた潰れ申候て院代其外所
化両人程押に打れ即死致し候此院代は漸く七八月頃替り候
て上野ゟ引移り申候僧にて御座候先院代は当年春開帳共寄
□迄致され当七月頃近在ニ而御朱印三百石程御座候□へ移
住致され候時変とハ申なから幸不幸の事にて候事
松倉町和泉屋庄吉殿宅も潰れ申候而夫婦並老母女中子供衆
三人皆々下に潰され申候処女中は兎角致し所々引破り外へ
出家内中潰され居候間何卒出し呉候様近辺の人々へ相頼候
間人々寄集り潰れ家所々引崩し家中出申され候しかし子供
衆弐人怪我なし其他は皆々怪我致され暫く療治致され申候
得は老母ハ片手利不申候其外は全快申され候事
天王町代地和泉屋権太郎様方御新造の御里ニや弟御押に打れ死去申
され候
下谷広小路伊藤松坂屋も潰れ候上に類焼にて死人七十人程
も御座候よし町家にての怪我の第一と承り申候
吉原町遊女屋の死人は夥敷事ニ御座候得共別而京町岡本や
長兵衛方は主人夫婦をはしめ若者遊女にて六十人程即死致
申候□宅併□見せの事に御座候間残り候遊女も五十余人御座
候間同町別宅致し候質見セの弟本家の跡□取立花川戸町へ
仮宅出し申候
同京町弐丁目交り見セ松葉屋知賀蔵方も主人夫婦はじめ即
死致し其上類焼にて遊女の年季証文はじめ不残焼失致し候
間残り候遊女共夫々手前勝手に夫々宿へ引込候而身侭(カ)に致
し居候間主人方親類抔より□合夫々へ懸合なと致し候得共不
行届ニ候間御奉行□訴へ申候得共主人も死失其上年季証
文□も無之候儀故親類方へ引□御座候よし□遊女共皆々身
□相成申候而松葉屋□前□申候
同時ニ遊女屋へ遊ひニ参り居候客人□□多分死去致し候得
共悉く焼亡致し候間一向ニ見わけ等も無御座候間其数相知
れ申さす候
御老中堀田備中守様御屋敷御殿向等も多分潰れ申候処殿様
は御壱人平服にて御登城なされ大手御番所詰番の者の肩衣
御貸うけなされ公方様へ一番ニ御目見へなされ候よし風説
には地じんのせつ御家老壱人追取刀にて御殿へかけ付殿様
ニ申上候は早々御登城なされ可致よし申上候ニ肩衣も無之
候よし被仰候折ふし御殿一面に潰れ懸り候ヲ右御家老殿様
ヲ取て御庭の内へ投出し申候内ニ御殿は倒れ其身は押にう
たれ即死致し申候殿様是を御庭より御覧なされ其侭御壱人
にて御登城なされ候まゝ第一ばんに御上りのよし御城内ニ
而もおしき家老を殺し候よし御噂御座候と承り申候
□住千にてのよし承り申候地じん後子僧壱人行衛相知れ不申
候間宿又は近辺尋ね候得共一向相知られ不申候尤近辺ニ而
焼失の所もこれあり少々隔り居候得共若又迯出し途ニ迷ひ
焼死ニ而も致し候哉と□□尋ね候得共左様の様子もこれな
く候間致しかたなく打過候処隣家の土蔵の土悉く崩れ落山
の如くなり候居後日取片付申候所段々瓦并土など取退け申
候処候油樽一ツ迷サ□埋ミ居申候間取退け候て右隣家にて
相尋ね申候子供此内ニ居候まゝ皆々驚き立寄見候て最早事
切れ候様子ニ而御座候得共早速主人方へも知らせ候まゝ医
師を呼迎ひ見セ候処未た少々暖気胸のあたりに見へ候まゝ
一ト療治致し見可申□て□手当致し候所息も出候様子ニ
而候得共数日樽の中に居候間漸々に疲れ申候事故先其侭ニ
致し置段々と手当致し候所両三相立候ては少々言葉も出し
候位ニ相成候故皆々力ヲ得候而夫々養生致し候此頃に至り
追々快く此一両日以前より近辺を少しツヽ歩行致候よし右
埋まれ居候□掘出し候は十一日めにて御座候よし尤樽を平
に伏セ候ては息つまり中々存命叶ひかたく候よし能々糺し
見候処伏候樽の小口へ石に懸り居候間少しの透御座候間是
より息も少しツヽはもれ申候故如此数日ニ相成候得共事切
れ不申候よし承り申候扨々強運の事と評ばん致申候
天王町和泉屋本店の見世働候もの此宵に酒ニ酔候て二階に
上り打臥居申候所此地しんニ付不残外へかけ出し候此辺は
町家にても家造りも大きく普請も丈夫ニ御座候間潰れ候家
ハ多く無御座候得共家根瓦抔落し少々宛は家も傾き土蔵の
壁抔も多分震ひ落し申候然ル処右の見セ働一人見へ不申候
間皆々此騒ニ酔伏候事も打忘れ怪我にても致し不申候哉と
噂申候ニ一人心付酒ニ酔二階へ上り□候まゝ定て寝入居候
まゝゆり覚し大地震早々外へ逃出よと申聞候所未た酔も覚
不申候哉何方へ地震参り候哉抔と他(タワゴト)和言ヲ申候まゝ無りに
引起し下へ引連れ参り往来へ連出し候処諸方の混乱の体を
見廻し候てはじめて皃カホ色も替りて震ひ出し申候事沢(カ)助殿参
り咄致され候如此の大変を(カ)知らす過し人も広き江戸故随分
あるべしとハ存候得共是もたた珍事□
向ふ長家に七八月頃迄居候て釘直し致し候夫婦御座候手前
新平より壱月ほど後に女子出産致し候後ニ北割水辺へ転宅
致し候処此地じんにて夫婦共逃出し候節女子も引連れ出候
得共如何致し候哉抱出てミれバ女子死し居申候よし承り候
得共□くは両人斗かけ出小児残し参候間家潰れ小児は死し
候段承り申候
新平出生の頃荒井町より古手屋の女房のよしにて三月生れ
と申女子を連乳貰ひニ参り申候此母子共家潰れ相果申候
此節大工手間壱人金三朱也(カ)鳶人足弐朱也(カ)家根屋壱坪ニ付弐
十(カ)□位其他諸職人右ニ准し高直申□き□無御座□
□翌春ニ至り候而も左官抔壱人金壱分ツヽニてもさし支申
候事十月廿二日頃公儀より江戸表の諸家の役寺へ仰付られ
此度地しん火災ニ而横死致し候もの施餓鬼被仰付候寺によ
り一七日又は五日の間夫々に法事御座候私見聞致しは金龍
山御蔵前大□院回向院等ニ御座候別(而カ)は回向院の儀は法会五
日之間厳重なる事目ヲ驚かし申候参詣の人々も群集をなし
候て是にて江戸表にて数十万の人々死し申候哉と存し候位
ニ御座候導師は浄土宗檀林の江戸の寺々又は天徳寺などの
方丈誓願寺芝大僧正など御座候
和泉屋源兵衛殿□□方にて火消向(カ)人衆壱人御家内不残即死
ニ而候間□御切米相渡り申候而も請取被成候御方無御座候
間御組より此趣御断御座候而仮令親類抔与申参り候共一切
相渡し申間敷段御断御座候よし沢助殿并啓助殿よりも承り
申候尤此御方御無□ニ御座候よし
安政五午年仲秋
安全壮健記
一名はなしのたね草
同六未年
真木迺家