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項目 内容
ID J2500601
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1855/11/11
和暦 安政二年十月二日
綱文 安政二年十月二日(一八五五・一一・一一)〔江戸及び近郊〕
書名 〔寺社大観〕
本文
[未校訂]大乗寺 東京市小石川區白山前町
 ㊀日蓮宗
 ㊁十行山と號す。開山は日向上人にしてもと相州竹ケ鼻
に在りしが、天正十八年徳川家康の命により江戸谷中に移
る。元禄三年七世日了の時より水戸徳川氏の菩提寺となり、
年々米七十俵を寄進せらる。従来京都本圀寺末寺たりしが
同十三年徳川光圀の請により久昌寺(茨城県久慈郡誉田村)
に屬す。同十六年堂宇類焼の厄に遭ひ、翌寶永元年現在の
地に移轉す。其後亨保三年再び炎上し、更に安政二年の江
戸大震に坊舎倒壊す。二十一世日端、水戸家より書院を寄
せられて再建す。明治二十年鬼子母神堂を新築す。
 ㊂境内八百七十坪、鬼子母神堂は俗に子育鬼子母神と云
ふ。寺寶に後陽成天皇震翰・徳川光圀の書等あり。
長命寺 東京市本所區向島須崎町。
 ㊀天台宗
 ㊁寶壽山遍照院と號す。初め圓仁の開創に係り、寺號を
寶樹山常泉寺と稱せしが、徳川家光、現稱に改めしめ、寺
境千八百餘坪を施し、且つ家康の畫像を與へ毎年金二百両
を寄せたりと傳ふ。安政二年の震災に堂宇崩壊し、明治初
年、假本堂造營せられたり。
出典 新収日本地震史料 続補遺 別巻
ページ 924
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
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版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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