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項目 内容
ID J2500506
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1854/12/23
和暦 嘉永七年十一月四日
綱文 安政元年十一月四日(一八五四・一二・二三、二四、二六)〔関東~九州〕
書名 〔高野口町誌 上巻〕○和歌山県伊都郡高野口町S43・10・30 高野口町誌編纂委員会
本文
[未校訂] 古老の話では、この辺の状況について次のようなことが伝
えられている。
① 田原ではこの時の地震で住家九戸が倒壊した。
② 土塀や、墓の石塔が倒れた。震動が烈しかったので、
それぞれ近くの藪に避難した。
③ 伏原の故森本幸右衛門氏は地震のとき、伏原の某所の
藪の中で誕生した。
④ 水溜の水が大きくゆれていた。
⑤ 震動が烈しいので、牛を避難させようとしたが、大地
が大きく揺れていて、牛は少しも前に進もうとしなかっ
た。
紀州侯からの報告書
安政元年十一月二十三日付「紀州様より松平伊賀守へ御
達なされし書付」
紀州表去る四日朝五ツ半頃餘程の地震これ有、城内の儀
は先ず格別の破損も無之候へども、城下の儀は餘程大荒有
之、就中海岸付浦村は人家多分流出し死人も多く有之、年
貢米積船その外廻船、漁船等数隻流失並に破損船等も有之。
田畑之儀も大分荒込み、右の外、山分村々に、しかも壊家
等も有之、總て損失夥しき趣に御座候、其の後も折々地震
致し、勢州領分之儀も地震にて破損家等数多く有之、混雑
中に付、委細之儀は急速取調べ行届き難く候間、追而申越
すべき旨、國許役人共申越候、此段一應達しおき申す様、
申付られ候
安政二年四月十八日付「紀伊様より阿部伊勢守へ御達し
なされし書付」
 紀州表並に勢州領分とも去る寅の十一月四日、五日の地
震、高波にて人家の流出、潰家、且つ破損、田畑之荒等之
儀、其の砌とりあえず申達され候通に御座候、追々取調べ
候處、和歌山城内之儀は、櫓、多聞の外、圍塀の破壊ども
數ヶ所有之候ども為[指|さし]差別無御座候。城下之儀は家中屋
敷・建物並に土塀、四壁破損少からず、市中、人家・寺院・
建物破損多く、潰家等も多く有之候。在中之儀、海士・有
田・日高・熊野・勢州海岸付浦村は、人家流失、潰家等多
く、田畑に砂入り、床掘れも有之、永々収納にも相拘わり、
右災害別紙之通り有之旨、國許役人共より申越候此之段
申達置候よう申付られ候
去寅十一月地震津波にて紀州勢州領分、浦村損失覺
一、高 十六萬八拾石 田畑津波荒
一、家 二萬六千六百八軒 津波に付流出並に
地震に付潰家破損
燒失共

(一、二十四軒 燒失。一、八千四百九十八軒 流失。
一、一萬八千八十六軒 潰家破損共)
一、寺 社 七十二軒 津波に付流失並に
地震に付破損燒失


(一、八軒 流出。一、六十四軒 潰家・破損共)
一、大 小 船 一千九百九十二隻 流失並に破損共

(一、一千四百五十五隻流失。一、五百三十七隻破損。)
一、堤 長 一萬二千八百十二間、地震津波に付破損、
大川筋小川筋往還
堤並に道共
一、網 三千百十六帖 流失
一、橋 二十八ヶ所 破損
一、男 女 六百九十九人 流死
一、男 女 三十二人 怪我人
一、牛馬 九十一匹 流死
一、用水井戸 五十九ヶ所 潰込
一、収納米 八百九十石 流失
一、山崩 二百十六ヶ所
一、鐡炮 三十四挺 流失
一、炭燒窯 百六十七ヶ所 潰込
一、炭 四萬一千十六俵 流失
一、材木 百八十六萬二千六百本 流失
一、立木 一萬五千四百八十本 倒壊
一、板木 六萬四千八百貫 流失
一、高札場 五ヶ所 流失
一、猪垣 百十八ヶ所 破損
一、用水井堰 五十ヶ所 破損
一、艫 八十二挺 流失
以上
出典 新収日本地震史料 続補遺 別巻
ページ 737
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 和歌山
市区町村 高野口【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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