[未校訂]嘉永七年寅霜月二日大にしや南風ニ而あさあらりふる目方三
拾弐匁ハ大十二匁ゟ段々三日は大にしニ而てんき△四日て
んきあさにし風四ツ時大ししん二ツゆるつなみうつそのな
みハ内のしき切みな寺へにげる夫夜三ツゆる也五日てんき
にし風八ツ時まてなに事もなし夫ゆへ内へくる又七ツ時ニ
大地しんゆる寺へにげる大つなみ大納屋ゟ上へ健介まで家
かず六七十あまりなかれる夫時内のせど上の段までなみあ
がりけり大舟小舟大いたみ人々なに事もなし夫夜あさまて
ゆりながし清源寺の竹やぶにいる六日てんき同夫からまい
日ゆる也晦日夜中地しんゆる△十二月同ゆる也廿日にし也
南風夫ノ夜大地なりする也
安政二年夘正月朔日ゟ天きにし風まい日ゆる坂井屋半助方
へ在る過去帳の裏ニ記す(昭和十年一月卅日夜)
坂井屋ハ古座町大字古座住人ナリ
(中略)
又云フ此書ハ予カ古座町役場ニ勤務シタル時区長ヨリ借受
ケ事務繁刻ナカラモ寸刻ヲ利用シテ三通程写シタリ乱筆ナ
ルハ繁刻ナリシ為ナリ
原本古座町区長ノ保管也蠹(トギョ)魚ノ蝕甚大ナリシ故□覚テ役場
ニ一通区長ニ一通ト茲ニ一通ヲ保存ス
嘉永七甲寅十一月五日地震下筋ゟ汐崎迄津浪五日ハ上
筋ゟ下筋迄
同年極月廿三日改元之有御通詞□安政と
地震洪浪乃記
草稿
(注、 「史料」第四巻三八七頁下~にあり省略)