[未校訂]安政元年寅年大震災あり、倒家多く且多數の負傷者を出せ
り、又岩滑午ケ池决潰して古池に入り、古池亦决潰して龜
ケ坪より神明田に入る其被害尠からず、已にして又海嘯あ
り下半田下町に浸水し損害少からず、今舊記に據り當時の
狀况を略序すれば左の如し。
十一月四日辰の上刻(午前八時)俄然大地震動し倒家を生
じ、其未だ倒るゝに至らざるも門柵倒れ庇落ち道路庭上に
龜裂を生じたるもの少からず、然れども人々尙再び住家に
入りしが、此日の夕刻西南と覺はしき方面に巨大の音響あ
りて又震動せり、是時衆庶皆顏色を失せざるものなかりし
が、頓て海嘯となり下町通り一体に浸潮し其混雑言ふべか
らず、因て役場帳籍類を始とし必要の書物を上半田半助方
に送り、婦女子を上半田又は荒古、山の神等に送りしもの
少からず、翌五日地又震ふ、是於て各家皆地震小屋を作り
之に住居し、細民は郷倉又は山の神に小屋掛して住居する
こと數日なりしと云ふ。