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項目 内容
ID J2500375
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1854/12/23
和暦 嘉永七年十一月四日
綱文 安政元年十一月四日(一八五四・一二・二三、二四、二六)〔関東~九州〕
書名 〔韮崎市誌 下巻〕○韮崎S54・1・31 韮崎市誌編纂専門委員会
本文
[未校訂]大蓮寺(修瑞山)
由 緒 当寺はもと若草町鏡中条にあって、天正一四(一
五八六)年、善性房日妙が開基し、もと修随山といった。
当初寺地一四〇坪あり、長遠寺末として幕末まで維持し
て来たが、安政元(一八五四)年の大地震のため堂宇(庫
裡・観音堂など)が全壊し、以後は単に寺号のみを存する
状態となった。明治二三(一八九〇)年に至り、長遠寺
末、北巨摩郡旭村浄蓮寺住職望月義悦が、本寺より派遣
されてその再興をはかり、韮崎町に移して檀家と協力、
拮据精励して堂宇を建立、山号を修瑞と改めて再興した。
主な建物 本堂・庫裡。
主な行事 宗制により随時。
出典 新収日本地震史料 続補遺 別巻
ページ 487
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 山梨
市区町村 韮崎【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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