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項目 内容
ID J2500376
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1854/12/23
和暦 嘉永七年十一月四日
綱文 安政元年十一月四日(一八五四・一二・二三、二四、二六)〔関東~九州〕
書名 〔武川村誌 資料編〕○黒沢村H1・3・31 武川村誌編纂委員会
本文
[未校訂]黒沢村地震急夫喰割渡小前帳
黒沢村地震夫喰割渡小前帳 黒沢村

黒沢村
一高百五拾七石壱斗四升三合
家数弐拾七軒
地震急夫喰
一籾八石八斗弐升
此割人数 九拾四人
内 五拾三人 男
四拾壱人 女
小前
家内弐人
一籾壱斗八升 常右衛門印
家内壱人
一同壱斗弐升 庄左衛門印
家内四人
一同四斗弐升 竹次郎印
家内壱人
一同壱斗弐升 乙吉印
家内弐人
一同壱斗八升 弥五左衛門印
家内四人
一同四斗八升 半兵衛印
(ママ)
一同四斗八升 利兵衛印
家内五人
一同四斗弐升 徳右衛門印
家内三人
一同三斗 平八印
家内六人
一同五斗四升 喜作印
家内四人
一同三斗六升 七五郎印
家内五人
一同四斗八升 角兵衛印
家内弐人
一同壱斗八升 長左衛門印
家内弐人
一同壱斗八升 徳次郎印
家内五人
一籾四斗弐升 源七印
家内三人
一同三斗 源助印
家内五人
一同四斗弐升 七郎右衛門印
家内三人
一同三斗 才助印
家内四人
一同三斗 元兵衛印
家内五人
一同四斗弐升 喜右衛門印
家内五人
一同四斗弐升 藤四郎印
家内弐人
一同壱斗八升 源蔵印
家内四人
一同三斗六升 惣助印
家内五人
一同四斗八升 栄助印
家内三人
一同三斗 改蔵印
家内三人
一同三斗 小右衛門印
家内弐人
一同弐斗四升 幸七印
右は去寅年十一月四日大地震ニ而居宅悉震痛其上庇壁等震
落時々震動いたし安心難相成往来端竹藪又は田畑之広場江
小屋掛補理数日恐怖罷有日々稼も難出来当日夫喰ニ差支難
渋いたし候もの共江為急夫喰として貯穀御貸渡被仰付端的
相助難有仕合奉存候、依之銘々割渡小前帳差上申処相違無
御座候 以上
安政二年卯二月 日
黒沢村
名主 六兵衛印
長百姓 太郎右衛門印
同 平蔵印
百姓代 藤左衛門印
甲府
御役所
(黒沢区所蔵文書)
読み下し(本文のみ)
右は去る寅の年十一月四日の大地震にて居宅ことごとく震
い痛み、其の上ひさし・壁とう震い落ち、時どき震動いた
し安心相成り難く、往来ばた、竹藪又は田畑の広場へ小屋
掛けし、補い埋め、数日恐怖まかり有り、日々のかせぎも
出来難く、当日の夫喰に差し支え、難渋いたし候もの共へ、
急がせ夫喰として貯穀御貸渡し仰せ付けられ、端的に相助
かり、有り難き仕合わせと存じ奉り候、これに依り銘々割
り渡し小前帳差し上げ申すところ、相違御座無く候、以上
解説
安政元年(一八五四)一一月四日朝五ツ半時(午前七時)、
東海・東山・南海諸道に大地震が起こり、甲州各地が激甚
な損害を蒙った。これに対し、幕府は各代官所に命じ、罹
災者に対し緊急救助対策として夫喰の支給を行なった。夫
喰というのは罹災者など困窮の立場にある村民に対し、応
急措置として粥など(又はそれに充てる米)を支給するを
いうのである。黒沢村も激震地として住民九四人に対し、
米八石八斗二升を夫喰として支給を受けたので、人数別、
男女別、年令別を考慮して表記のごとき割り渡しを行ない、
その結果を翌年二月に至り三役より所管の甲府代官所に提
出したのが、この地震急夫喰割渡小前帳である。惜しいこ
とに黒沢村の罹災状況を語る史料に欠けているので、具体
的に解説に触れることはできないが、甚大であったことは
推察できよう。
注 急夫喰
不時の災害によって食糧の欠乏した農民に対し、領主か
ら応急に貸与された米穀又は金銭
出典 新収日本地震史料 続補遺 別巻
ページ 487
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 山梨
市区町村 武川【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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