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西暦、綱文、書名から同じものの一覧にリンクします。

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項目 内容
ID J2500310
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1854/07/09
和暦 嘉永七年六月十五日
綱文 安政元年六月十五日(一八五四・七・九)〔伊賀・伊勢・大和・山城・近江・河内〕
書名 〔宇治市史 3 近世の歴史と景観〕○京都府宇治市S51・3・1 宇治市長渡辺博
本文
[未校訂]この時宇治では、橋詰にあった高札場の石垣六尺が崩れ、
宇治橋の台石に心割れが生じ、橋を支える石垣も東西それ
ぞれ九間余が割れたり崩れたりするなど、大きな破損を蒙っ
たほか、各所で倒潰した民家も多く出来した模様である
『宇治市役所。
所蔵文書』
また御物茶師上林三入の家では、「居宅大破は勿論、剰
つさえ土蔵崩れ、御茶製[焙炉場|ほいろば]等悉く押倒」されるという
ありさまで、近年の経済的窮乏に加え、ますます難渋の度
を深めて途方にくれるばかりであった『上林三入。
家文書』
幕末期に
はいよいよ逼迫することの多かった各茶師の家でも、この
地震の追い打ちによって、さらに大きな打撃を蒙ったわけ
である。
出典 新収日本地震史料 続補遺 別巻
ページ 391
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 京都
市区町村 宇治【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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