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項目 内容
ID J2500265
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1847/05/08
和暦 弘化四年三月二十四日
綱文 弘化四年三月二十四日(一八四七・五・八)〔北信・上越〕
書名 〔高橋春男氏提供文書〕
本文
[未校訂](犀川筋水溜之図)
(注、類書多く、省略)
(端裏)
「五月五日認メ置候後卅行は五月廿日迄」
弘化四年未三月廿四日夜四ツ頃大地震ニて善光寺其外山中
松代飯山矢代稲荷山近郷近辺村々宿々潰れ家并に出火ニて
山□(虫喰)ノ山抜ニて犀川ヲせき留丹波島渡し場干片(潟)ニナリ前代
未聞之大変
大火八景歎歌
善光寺の晩焼
ゆり潰す地震とともに火の出て諸国へひゝく丸焼の沙汰
飯山の運の尽
飯山や今宵ゆりくる地震ニハ城も町屋もみな潰れけり
川中島の涙雨
遠方へ地震のうわさゆづりつゝ又来ル水をなけく里人
此所ハ廿四日夜ハ少しの潰れ四月十三日山中たまり水
一ケ所切れいつたんニ水押来り流れ家くすれや多し
畑田の落減
越後ヲ云
越近き川中島に地震して田畑も野辺もゆりかへしける
矢代の危難
近辺の地震と家事の沙汰聞て矢代舟ヨリかへる旅人
弥陀の殺生
諸国より人を集めて弥陀如来夕火に多く焼ころしけり
修羅の口説
焼灰の雪かきわけて諸人の骨をひろうて口説あわれさ
驚(衆カ)家
六道のおあしハもてとしなの身ハ犀口川にまよい居るな


大[水|ミ]八景
泥田の動しよふ
山抜る村家も蔵も水入て舟ニて渡るはね橋の上
無良の亡説
押切るゝ水の出はなの亡村ハ七ツ盛に過る頃哉
[哀れ|アハレ]の水乱
押払ふ水にはつれてもゝ舟も千舟も波の水屑とそなる
飯山の水つき
飯山や水内よりくる水かけハ明りも居家もたまるものか

塩崎寄る海士
夜の水の堂をきつてハ諸人も住居を余所に水引ヲまつ
川田の落顔
峯あまた越て越路に水つゞき川田に波そよする迷惑
水内の繁昌
恩をその堤も切れて里なんきまつハ我家に入海の沙汰
八幡の帰飯
水引て矢幡に帰る人ハ今命の難を救ふ舛風
右詠ハ四月十三日無飯クハン麦水出る公御自筆也
右ハ悪口ニ御座候へとも
善光寺如来様ノ仏力ニて大火の中ゟ無難ニ引出されたすか
りし人是又多し
(注、以下事例は類話多く、左の一例以外は省略)
上田辺ハ左様之事一切無之候へとも当初商人善光寺松代稲
荷山其外宿々へ上田産物送り置候人々多分ハ先キ〳〵潰れ
死やけ死等ニて五十両八十両くらへハ何人もかし置中ニも
多分ニ送り置候者も御座候へとも合手死去ニて皆捨物ニ相
成私共町内柏やト申者かし金もアリ又善光寺ニて賀(加)賀かさ
買置不残焼れ候ニ付此人壱人ニて七百両も損ニ成候様の咄
し御座候其外色々成義筆紙ニ尽し難あらまし印御覧ニ入申
候(中略)
五月廿日認め置候

白子
槌五様
余瀬
全様
善光寺地震
善光寺地震
善光寺地震
善光寺地震
善光寺地震
善光寺地震
善光寺地震
善光寺地震
善光寺地震
出典 新収日本地震史料 続補遺 別巻
ページ 334
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
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版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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