[未校訂](犀川筋水溜之図)
(注、類書多く、省略)
(端裏)
「五月五日認メ置候後卅行は五月廿日迄」
弘化四年未三月廿四日夜四ツ頃大地震ニて善光寺其外山中
松代飯山矢代稲荷山近郷近辺村々宿々潰れ家并に出火ニて
山□(虫喰)ノ山抜ニて犀川ヲせき留丹波島渡し場干片(潟)ニナリ前代
未聞之大変
大火八景歎歌
善光寺の晩焼
ゆり潰す地震とともに火の出て諸国へひゝく丸焼の沙汰
飯山の運の尽
飯山や今宵ゆりくる地震ニハ城も町屋もみな潰れけり
川中島の涙雨
遠方へ地震のうわさゆづりつゝ又来ル水をなけく里人
此所ハ廿四日夜ハ少しの潰れ四月十三日山中たまり水
一ケ所切れいつたんニ水押来り流れ家くすれや多し
畑田の落減
越後ヲ云
越近き川中島に地震して田畑も野辺もゆりかへしける
矢代の危難
近辺の地震と家事の沙汰聞て矢代舟ヨリかへる旅人
弥陀の殺生
諸国より人を集めて弥陀如来夕火に多く焼ころしけり
修羅の口説
焼灰の雪かきわけて諸人の骨をひろうて口説あわれさ
驚(衆カ)家
六道のおあしハもてとしなの身ハ犀口川にまよい居るな
り
又
大[水|ミ]八景
泥田の動しよふ
山抜る村家も蔵も水入て舟ニて渡るはね橋の上
無良の亡説
押切るゝ水の出はなの亡村ハ七ツ盛に過る頃哉
[哀れ|アハレ]の水乱
押払ふ水にはつれてもゝ舟も千舟も波の水屑とそなる
飯山の水つき
飯山や水内よりくる水かけハ明りも居家もたまるものか
わ
塩崎寄る海士
夜の水の堂をきつてハ諸人も住居を余所に水引ヲまつ
川田の落顔
峯あまた越て越路に水つゞき川田に波そよする迷惑
水内の繁昌
恩をその堤も切れて里なんきまつハ我家に入海の沙汰
八幡の帰飯
水引て矢幡に帰る人ハ今命の難を救ふ舛風
右詠ハ四月十三日無飯クハン麦水出る公御自筆也
右ハ悪口ニ御座候へとも
善光寺如来様ノ仏力ニて大火の中ゟ無難ニ引出されたすか
りし人是又多し
(注、以下事例は類話多く、左の一例以外は省略)
上田辺ハ左様之事一切無之候へとも当初商人善光寺松代稲
荷山其外宿々へ上田産物送り置候人々多分ハ先キ〳〵潰れ
死やけ死等ニて五十両八十両くらへハ何人もかし置中ニも
多分ニ送り置候者も御座候へとも合手死去ニて皆捨物ニ相
成私共町内柏やト申者かし金もアリ又善光寺ニて賀(加)賀かさ
買置不残焼れ候ニ付此人壱人ニて七百両も損ニ成候様の咄
し御座候其外色々成義筆紙ニ尽し難あらまし印御覧ニ入申
候(中略)
五月廿日認め置候
可
白子
槌五様
余瀬
全様
善光寺地震
善光寺地震
善光寺地震
善光寺地震
善光寺地震
善光寺地震
善光寺地震
善光寺地震
善光寺地震