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項目 内容
ID J2500081
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1707/10/28
和暦 宝永四年十月四日
綱文 宝永四年十月四日(一七〇七・一〇・二八)〔東海以西至九州〕
書名 〔平田町史 史料編〕○岐阜県平田町S59・3・31 平田町
本文
[未校訂](今尾記)○今尾
今尾神社蔵
一十月四日午ノ中刻、大地震ニて庄五郎本家潰、浄徳寺堂
庫裡共ニ禿、其外潰家共多有之候、常栄寺御堂も大破ニ
及ぶ 浄徳寺 長六間・横五間半板葺、庫裡長六間・横
四間同断、十一月御堂小屋掛ケ建申候
一御見取地、祢宜屋敷、堤敷地等引地書上(省略)
宝永五戊子年
御断申上ル事
一家 長七間半・横弐間半 祢宜 孫太夫
右之家損シ申ニ付、柱等根継仕、如元修覆仕候、御百姓
並之家ニ御座候へ共、祢宜職仕候故、御断申上候、以上
宝永五年子閏正月
右孫太夫御断申上候通、相違無御座候、以上
子閏正月 今尾惣庄屋惣太夫
田中友右衞門殿
橋爪右衞門殿(合右衞門殿へも壱通)
一去ル亥年大地震ニて、常栄寺堂大破ニ及ひ候ニ付、建直
し瓦葺ニ致度由、九月願出済、七間・六間瓦葺
一十月五日、常栄寺御堂再建棟上
(脇田村反別指出帳)○蛇池
浅野藤吉氏蔵
一田壱町八反七歩 見取
内八反七畝拾六歩拾五年以前亥年大地震
にて入込永引
残九反二畝廿壱歩 有反 但年々御取ケ改申候
出典 新収日本地震史料 続補遺 別巻
ページ 55
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 岐阜
市区町村 平田【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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