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項目 内容
ID J2404697
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1856/08/23
和暦 安政三年七月二十三日
綱文 安政三年七月二十三日(一八五六・八・二三)〔三陸・松前〕
書名 〔函館市史 通説編 第一巻〕○箱館S55・3・1 函館市
本文
[未校訂] 地震と津波 この時代の大きな災害に地震と津波があっ
た。安政三(一八五六)年七月十九日箱館に地震が三回
あり、翌二十日にも二回あった。更に二十三日に至り、
昼九ツ時(正午)地震があり、それが九ツ半(午後一時)
ころ大地震となって、家が傾き、あるいは壁が落ちるな
どの災害を受けたものもあったが、さいわいはなはだし
い損害はなかった。ところが間もなく誰かが津波が来る
と叫ぶ者があって、老人や病人などを助けたり、家財な
どを背負って避難する騒ぎとなった。しかもたちまち海
潮が満ちて一進一退するうちに、やがて激しく市街に打
ち上げ、家屋を襲い橋を流失するありさまとなった。こ
とに築島辺では浸水五尺に達し、夜になってようやく鎮
まったという。なおこの津波に遭遇した古老の話による
と、その時海水がまず引去ったので、魚を捕えようとし
て出て行ったが、船は[碇|いかり]のあるものは傾斜して倒れそう
になるので、船子らが棒などを持ってこれを支えていた。
しばらくしてごうごうと海鳴りの音を聞き、津波はまた
来るといって大騒ぎとなり、船に乗って波とともに市中
に入り、町を漕ぎ回り、水の引く時は船を柱に繫ぎ、ま
た水が来たら漕ぎ回って難をのがれた者もあったという。
大町では海水が土蔵の中に入り、鶴岡町は土地が低いの
で浸水最もはなはだしく、五百石積の船が街路に上った
ままとなった。この夜は夜通し街灯をともして、吏員は
不慮の災害を警戒し、市民はみな外に地面に坐ったまま
夜を徹した。このため官では飯の炊出しをして与え、ま
た富有の人は米や銭など出して救済につとめた。この津
波はひとり箱館付近ばかりではなく、東は室蘭、勇払な
どの海岸を襲った。幸い大害はなかったという。こうし
て二十四日、二十五日にも引続きたびたび微震があり、
二十六日は一二回の震動があり、二十七日夜やや強震が
あって人々は屋外に飛び出したが、ほどなくおさまり二
十八日および八月一日も二、三回微震があっておさまっ
ている。
出典 新収日本地震史料 続補遺
ページ 755
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 北海道
市区町村 函館【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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