[未校訂] 地震と津波 この時代の大きな災害に地震と津波があっ
た。安政三(一八五六)年七月十九日箱館に地震が三回
あり、翌二十日にも二回あった。更に二十三日に至り、
昼九ツ時(正午)地震があり、それが九ツ半(午後一時)
ころ大地震となって、家が傾き、あるいは壁が落ちるな
どの災害を受けたものもあったが、さいわいはなはだし
い損害はなかった。ところが間もなく誰かが津波が来る
と叫ぶ者があって、老人や病人などを助けたり、家財な
どを背負って避難する騒ぎとなった。しかもたちまち海
潮が満ちて一進一退するうちに、やがて激しく市街に打
ち上げ、家屋を襲い橋を流失するありさまとなった。こ
とに築島辺では浸水五尺に達し、夜になってようやく鎮
まったという。なおこの津波に遭遇した古老の話による
と、その時海水がまず引去ったので、魚を捕えようとし
て出て行ったが、船は[碇|いかり]のあるものは傾斜して倒れそう
になるので、船子らが棒などを持ってこれを支えていた。
しばらくしてごうごうと海鳴りの音を聞き、津波はまた
来るといって大騒ぎとなり、船に乗って波とともに市中
に入り、町を漕ぎ回り、水の引く時は船を柱に繫ぎ、ま
た水が来たら漕ぎ回って難をのがれた者もあったという。
大町では海水が土蔵の中に入り、鶴岡町は土地が低いの
で浸水最もはなはだしく、五百石積の船が街路に上った
ままとなった。この夜は夜通し街灯をともして、吏員は
不慮の災害を警戒し、市民はみな外に地面に坐ったまま
夜を徹した。このため官では飯の炊出しをして与え、ま
た富有の人は米や銭など出して救済につとめた。この津
波はひとり箱館付近ばかりではなく、東は室蘭、勇払な
どの海岸を襲った。幸い大害はなかったという。こうし
て二十四日、二十五日にも引続きたびたび微震があり、
二十六日は一二回の震動があり、二十七日夜やや強震が
あって人々は屋外に飛び出したが、ほどなくおさまり二
十八日および八月一日も二、三回微震があっておさまっ
ている。