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項目 内容
ID J2404695
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1856/08/23
和暦 安政三年七月二十三日
綱文 安政三年七月二十三日(一八五六・八・二三)〔三陸・松前〕
書名 〔倉石村史 上巻〕○八戸倉石村史編纂委員会
本文
[未校訂]同安政三丙辰七月廿三日昼之九ツ時大地震一時斗ゆる也
しかも此日ハ雷雲らしき雲四方ニ出雲うしからニして朦々
たり諸人けしからさる所四ツ頃ニ相應之地震ゆり出し最
早九ツ時ニ相成候所大地震ゆり出しや否鳴物雷之如し佇
ミ居る者立所ころび或ハ岩か崩れ道か別れ木ノ梢地を[叩|たゝ]
き家ヲ損し釜かこわれ堰抔の水ハ流るゝ事不能(ママ)老若男女
右往左往ニさん乱し泣さけび目もあてられぬ次第也中ニ
も海邊ハ八戸湊通何所共ツ浪来リ橋ヲ落ス家を流し残り
し家ハ家財を流し都桑か崎なとハ大変之よし誠ニ前代未
聞も風聞せり其頃前後七月十八日ゟ八月十八九日迄々三
十日之間地震不止事一日ニ四五度夜ニ四五度也諸人是ニ
恐ヲなし家ニ宿し者なく海通(道)ニ宿し十四五日か間かせく
者もなく五戸町ハ新町通下りわ拾三斬一並ニ家ころび外
も所々損じ土蔵のかべか落ツ酒屋ノ酒かまかり宿はつれ
ニ仮屋を立十日斗泊り居候老人も不知よし此時ゟ七十年
以前ニ八月十五日ニ者大地震有之よし咄合候得共誠ニ一
寸之事ニ而徂き地震之趣承り末代迄咄之種ニ書印居申候
出典 新収日本地震史料 続補遺
ページ 755
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 青森
市区町村 八戸【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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