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項目 内容
ID J2402702
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1802/11/18
和暦 享和二年十月二十三日
綱文 享和二年十月二十三日(一八〇二・一一・一八)〔名古屋・近江・京都・奈良〕
書名 〔杉浦家日記〕○京都
本文
[未校訂]廿三日 曇 辰上雨 亥止晴 今暁丑九刻地震
東乃方より鳴来ると云考るに常並の強地震を十ハか里
ゆる間 ゆりたるよふに覚ゆ
行燈の燈心をゆ里こむ庭前石手水鉢の水一寸ほとゆり
てこほるゝ也五十年の前を不知人ハ甚珍事也とおもへ
り北土蔵南土蔵乃□所かた際少々壁損す富小路中戸壁
破る祇園辺智恩院清水大谷辺石燈籠宝珠落る有或ハ倒
たる境内に一二有よしいつ方も損る事少
寛延年中かと覚ゆ其時乃地震ハ今暁乃震味と違ふ常並
の地震とハ都て緩くゆれて強く震へり柱と建具と上下
二寸斗も震ニつれて開合せり泉水乃水なと半分ゆ里こ
ほす事有
地震一二割□今少地震半日の余も折々にゆる諸方
石燈籠多くたおる
今日ハ右様の事なし
廿四日 晴 大阪ハ京と同刻頃地震すれと常並の震にて
長きと斗也(後略)
廿八日 晴 未之四刻地震余程強
当廿三日之地震東西之近江美濃ハ京都より強き由
尾州も甚強御城石垣を損と云
(廿九日)
小盡 晴 戌九刻軽地震
(十一月)
廿八日晴 冬至 未之二刻 亥刻過軽地震
廿九日晴 卯下曇
東土蔵戸前さね柱かふき 先月廿三日地震に痛ミ 外
江破れ顕る土戸のひち打 かた古きまゝに 金物打置
たる故 戸前廣く改たるとハ不釣合故 ゆりいたミ強
し ひちを上下遠くすれはよけれとも 今更改難し故
先々破たるを柱際迠堀入れて 直シ可申積にて 自明
日普請申付る 上塗等ハ春の事ニ申付る 斉藤氏御内
談之事所存申述る
出典 新収日本地震史料 続補遺
ページ 445
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 京都
市区町村 京都【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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