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項目 内容
ID J2400734
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1694/06/19
和暦 元禄七年五月二十七日
綱文 元禄七年五月二十七日(一六九四・六・一九)〔羽後・津軽〕
書名 〔秋田名蹟考〕「第3期新秋田叢書(十三)」S53・5・30 新秋田叢書編集委員会編 歴史図書社
本文
[未校訂]○元禄の震災
元禄年間、山本郡野代に大地震ありて、人畜の死傷、家
屋の潰倒数多ありしことあり。それより野代の称を廃し
て能代と改称せしと云ふ。其当時の被害調を左に記す。
元禄七甲戌五月二十七日辰刻、秋田郡野代大地震
民屋千四百七十三軒震崩、同八百五十九軒焼失、同四
百四十七軒破損
右ハ野代始、森岡・檜山・駒形・飛根・其外近在処々
都合二千七百七十九軒、土蔵百九十五軒震崩、焼失破
損とも右同断、死人男女三百九十四人、怪我人男女百
九十八人、死馬三疋
米穀一万八千三百二十石余
菅江真澄氏の当時の情況を記したるものあり、左に録す。
 元禄七年弥生の比、我住める能代の西の方、平沙の浜
菅まじりに、一夜に俄かに大なる朽木顕れ出てたり。そ
の長五丈ほど、大きさ三囲はかりなりし。高砂子の渺々
たる処に、かやうの物あらはるゝ事、珍事におもへて、
日毎ニ人の見に行く事引もきらずぞ有けり。同じく五月
二十七日辰の刻はかりに、大地震振ひ出たり。あハやと
云ふほとこそあれ、大家小家一同に倒れ、平地の如くに
なり、地ハ四尺はかり裂け、水迸り出てたり。
 火ハ八方より出てゝ、千五百軒の在所黒烟を一度ニ押
揚けれは、さしもよかりし天気、真くらやみに成りにけ
り。親ハ子を知らす、子ハ親を知らず、兄弟主従たれか
分たん。桁梁に打ひしかれ、内に居たるものハ出てへき
方なく生なから焼死し、あるハ足を物にさしはさまれ、
出へきかたなく、火すてにおしかゝれバ生なから焼しぬ。
又腰を打すへられて出かね、とかくする内に火もえくれ
バ、舌を喰きりて死するものあり。
 たま〳〵のかるゝものハ襲の石に頭うちわられ、腰を
打ち、足を摧き、其外疵付者数しらず。内に居たるハ壁、
せうち、やねの榑をやふり、少き窓より潜り出てし。男
ハ犢鼻褌をも着けず、女ハ内裾帯をもわすれのかれたる
ありさま、何にかたとへん。男女老少わめきさけふ声、
叫喚焦熱もかくやらんと覚えし云々。
出典 新収日本地震史料 続補遺
ページ 137
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 秋田
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版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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