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項目 内容
ID J2400409
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1663/99/99
和暦 寛文二年十二月
綱文 寛文二年十二月(一六六三)
書名 〔阿南町誌 上〕阿南町町誌編纂委員会S62・10・31阿南町
本文
[未校訂]第二節 陸水
一 深見池
1 湖盆
ア 位置
 下伊那地方の天然湖は数個数えるのみであるが、その中で
も深見池は規模が一番大きい。大下条の深見にあって、湖水
面の海抜は四八四メートルにある。道路の便がよく人家に近
いのと、水の出入りが小さいので汚れやすい傾向があるが、
湖沼内の自然科学的現象を顕著にしているため、多くの研究
者の研究対象になっている。
イ 成因
 池のある周囲の地質は、富草累層の砂岩・泥岩・礫岩より
なる地域で、東北東から西南西に走る断層線の下で、断層に
よってできた凹地に水がたまったものと推定される。先述し
た岩石の崩れたものが、断層面以外の池の周囲に見られる。
 池になっている凹地ができたのは、寛文十年二月に深見村
惣市が、深見村御衆あてに出された証文中に「諏訪神社生産
の神(産土の神?)が寛文二年十二月の大地震にて、お宮ま
で大池(深見池)にしずみ……」とある。上野益三は、寛文
年中に大地震で土地が陥没したというもの、今一つはその折、
諏訪神社の社殿や森が前からあった池中へずれ込んだもの、
の二通りのあることを挙げている。社が水底にある証拠とし
て、石の階段を見たという説があったが、アクアラングで水
中探査を試みたが見つけられなかったと新聞で伝えられた。
 現在の社には諏訪社と津島社が祀られており、祭りも七月
二十四日に行われている。祭りの様式は、愛知県津島神社の、
山車(だし)を船二そうつないだ上にのせ、管弦の音勇まし
く川を下り疫病神を追い払うというものに似ていて、この祭
りから神社が湖底に沈んでいるという証拠にはならない。
 池ができた年が寛文二年とすれば、地震の記録から五月一
日であり、十二月とすれば寛文三年十二月六日ということに
なる。証拠の証文は寛文十年に書かれているが、記憶違いに
よると思われ、いずれが正しいかこれだけでは判断できない。
一九八五年から数えて三二二、三年前に池ができたと推定は
できる。
出典 新収日本地震史料 続補遺
ページ 94
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 長野
市区町村 阿南【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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