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項目 内容
ID J2400219
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1611/12/02
和暦 慶長十六年十月二十八日
綱文 慶長十六年十月二十八日(一六一一・一二・二)〔北海道南東岸・津軽・三陸〕
書名 〔藤原比古神社由来記〕○宮古市藤原S61・7・12 大井喜平著
本文
[未校訂] この当時、白藤の神木は現在の藤原二丁目伊手屋商店
附近にあり、神垣を巡らし「お藤様」として住民から深
く崇敬される小さな社であったが、かつての宮殿は既に
慶長十六年宮古地方を襲った大津浪によって消失してい
た。ちなみにこの歴史的大津波は、当時の笠間(現舘合
町)にあった華厳院の末寺常安寺をも海中へと運び去っ
ている。しかし、宮殿を失っても住民達は、白藤の神木
の廻りに神垣を巡らし旧六月八日には音羽姫を忍ぶ祭礼
を催したと伝えられている。「お藤様」を信心する女性
は、領主を支えた音羽姫の聰明にして慎ましい女性像に
あやかろうと、その人柄を忍び「白藤の如き」生き方を
心掛けたことであろう。
出典 新収日本地震史料 続補遺
ページ 46
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 岩手
市区町村 宮古【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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