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項目 内容
ID J2300415
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1854/12/23
和暦 嘉永七年十一月四日
綱文 安政元年十一月四日・五日・七日(一八五四・一二・二三、二四、二六)〔関東以西の日本各地〕
書名 〔地震史料〕
本文
[未校訂](黒田文書綱領 七)
○同年十一月五日 地震、芦屋四戸・木屋瀬十五戸倒家。京・
大坂等地震もつとも甚し
(奇談日記)○福岡県鞍手
○同年十一月五日、今日青天、七ツ時大地震、人々誠に恐怖
す。上方筋大ゆり、夜又々地震度々あり。
同六日 今日青天 時々地震 夜青天
同八日 今日青天 時々地震 曇
(富永日記)○福岡県糸島
○同年十一月五日 今日都合六度地震いたし候。昼七ツ頃の
地震は近年無双の大地震也。いづれも家の下に居りがたく
火鉢をかかえ門に走出す程にして、然も常の地震とは異な
り甚だ長し。いかなる事かあんず、昼夜六度も地震する事
いづれも甚だ心気を痛め侍る。さて地震時刻の事左に記
す、今暁七ツ半少し、日昼九ツ始め至って軽し、気のつか
ざる者もこれあり、七ツ終大に烈しく然も甚だ長し、夜五
ツ始め少し、夜四ツ至ってひどし。夜八ツ半少し
○同年十一月七日今日五ツ半頃、又々一昨日の大地震の如く
すさまじくゆるる也。九ツ頃も少しゆり、夜四ツ半にも小
地震いたす。今日五ツ半の大地震は、一昨日七ツ頃の近代
無双の地震に片馬程弱き地震也。此の頃は日々常になき地
震いたし、いづれ世の末には至りぬと眉をひそむるものの
み多かりし。
(見聞略記)○福岡市西区宮浦
○当年十一月五日 四ツ時頃地震仕り、いつもより長く震
ふ。同日夜に入り二、三度ゆり申し候、同七日又々一度ゆ
り申し候、その後承り申し候えば、諸国一統地震仕る。九
州にては、肥後川尻・豊後路などとりわけ大地震。豊後の
内などは所々大損じ仕り候よし承り及び申し候
其の後大坂便りに承り候えは、諸国地震左の通り(省略)
(川上文書御用留)
十一月一日(ママ) 六ツ半ゟ五ツ頃大地震
(白石正一郎日記)○福岡県
安政二年
九月二十三日 晴 午ノ刻 震う
九月二十五日 晴 子ノ刻 大震
十月二十三日 晴 午ノ刻 地震
十月二十九日 晴 丑ノ刻 地震
十一月十日 晴 亥ノ刻 地震
十二月十六日 晴 丑ノ刻 地震
出典 新収日本地震史料 補遺 別巻
ページ 581
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 福岡
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版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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