[未校訂]嘉永七寅十一月四日五ツ過地震大ニゆり候ニ付はだしにて裏
へにけ出急西ノ屋根くすれ瓦落る誠ニおそろしくあきれいた
る時凡多葉こ五六ふくの間也雄浦万二郎外山ノ帰かけ道二丁
歩行ノ間ノよしやかた町ニ而女ら走り出互ひニ手を取合こけ
ぬ用心セしとの事大ニ恐れ居たる等翌五日七ツ過大地震久し
くゆる庭へはせ出候処昨日よりはけしく立居る事不成木を取
付居る内二階の瓦落る音ニおとろく内ひさしや祢崩るゝ大ほ
うの如き音七八声ひゝく何共不分始ハ雷鳴と思ひ空ハ真黒ニ
してすさましく天地之大変ト生たる心地なし只神仏ノ御名を
となへおそれいるうちやうやく止此度ハ昨日ゟ十そうばい暮
六ツ過又ゆり四ツ比四日ノ朝ぐらい近所ノ家くすれたをるゝ
音に心もきゆることく庭ニて一夜をあかす夕飯未こしらへさ
れハ此処へこんろ土ひん持来るにたゝ内ニ入事おそろしく早
々取来る皆一ツ処へ寄つとふてふとんの上ニ寄りかゝりいぬ
る間なく明たり朝迄ニ五六度六日朝人々来り咄しを聞尓昨夕
ひかた黒江辺へ津波上り屋根迄つかり波ニ引レ行く大成石橋
流れ或ハたんすの引出しへ魚類入たりと言雷鳴地(カ)なりと聞た
る七八声ハ波の音尓てありしとの事伝法橋くいへ大成船とも
こみ合われ筏の上へ舟打上廿四五艘も込入こみ合御さ候又三
部下と云川原へ二三百石位の舟川原ニすわり有之とふして来
りしや不知大勢してうこかすに中々少しも不動人力のおよふ
所にあらす程も折大ニ破そんしたるよし也畑ハさけて内より
とこ土はみ出たるよし川近辺ノ人ハ舟の内へにけ入候処かの
つなみにて又舟ニ居りがたく又上り併老人子供ハ思ふやうに
得動かすなく声かしましく又老人と子を見うしなひしとてあ
わてさかす者も有併是ニハ幸ニたすかりし由さま〳〵成へし