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項目 内容
ID J2300281
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1830/08/19
和暦 文政十三年七月二日
綱文 天保元年七月二日(一八三〇・八・一九)〔京都〕
書名 〔中村平左衛門日記〕○京都北九州市立歴史博物館
本文
[未校訂]一当年七月朔日夜ゟ京都大地震の由、西本願寺ゟ小倉末派の
寺ニ書状参り候よし、左ニ記
此度以急便申来候趣ハ、京都大変、当月朔日夜四ツ前ゟ
東方丸山の通り、光り物出誠ニ鍛冶屋のふきを見る如く
𨻶なく光る事、明七ツ時過迄不相止、如何の悪事起る哉
と案し居候処、二日七ツ時過大地震起り、洛中一統あは
て廻る計ニ候得は、大地へはいり候哉と思ふ計、足の踏
度も不覚御影堂へ(ママ)欠込候得は、御勤番衆並堂達衆御真影
様を御輿にうつし、阿弥陀堂御白砂真中ニ奉居、両御堂
御宝物不残供奉し、直様高サ一丈三、四尺計の緞子の♠
幕ニて囲、南の方へ引添陣小屋出来、御門跡様被為在御
守護、小屋の廻り重役・諸役人火事仕たく、西の方ハ御
勤番並御堂掛り衆奉守護、北の方ハ所化中百四、五十人
余並居候て奉守護、東方三官衆大小ニて並居、其外囲陣
幕の外諸講中、御門前は御作事方、御影堂の御番所町奉
行大勢の供廻りニて押へ、火消役人一備へ、御境内より
一時替ニ火ノ廻り、町々は内ニ居るもの一人もなく、道
筋の真中ニ畳を敷、我門先キ〳〵え老若男女打集り、最
期を待計の有様、目もあてられぬ次第、誠ニ顕如様紀州
鷺ノ森の御難渋ニ等キ事やと申合、皆々不惜身命の思出
ニ腰を居、称名諸共御番を相勤、喰事は大仲居ゟむすひ
に香物持廻り御すくひニ預り、二夜三日の間御真影様・
御門跡様白砂の上ニ御野宿被遊、一方ならぬ御難渋奉恐
入候、三日四ツ時学林ゟ銀五十枚献上、尚在京所化中ゟ
銀十両余人別御見舞献上、誠ニ此度ハ所化中の勢御前の
御目立殊の外御満足、三日の八ツ時御白砂ニて御直命の
趣ハ、不計大変所化中早速守護満足ニ思ふとの御意ニて、
皆々頭の上るもの一人もなく、最早五畿内近国聞付々々
御見舞多ク、尤御本山表通りハ格別の御損も無之、大谷
御本廟極々の大破損の段申来候、此段御承知可有之候
以上
七月十九日
右の通也、寺社堂塔夥敷崩レ候よし、死人も数多のよし也
出典 新収日本地震史料 補遺 別巻
ページ 306
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 京都
市区町村 京都【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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