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項目 内容
ID J2300237
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1792/05/21
和暦 寛政四年四月一日
綱文 寛政四年四月一日(一七九二・五・二一)〔島原・肥後〕
書名 〔九州地方における近世自然災害の歴史地理学的研究〕S61・3九州大学教養部国史研究室・人文地理学研究室
本文
[未校訂](
注、本書は昭和五九・六〇年度科学研究費補助金(一
般研究C)の研究成果報告書で研究代表者は野口喜
久雄(昭和五九年度)、小野菊雄(昭和六〇年度)で
ある。島原大変の際に書かれた多くの絵図に関する
研究で興味あるもので参考になる。そのうちの一部
の結論のみを掲載する

一 島原藩が幕府へ提出した絵図は麁絵図もふくめて三種類
六枚あった。
二 長崎県立島原高校蔵「島原大変大地図」と島原市本光寺
所蔵「寛政四年大震図」は一セットの絵図で一七九二年六
月三日に島原藩が江戸幕府へ提出したものである。
三 島原市本光寺所蔵「甲第図」は一七九二年五月十八日提
出の麁絵図もしくは麁絵図の写しである可能性がある。
四 最終的な島原藩の幕府への報告図は、一七九二年九月二
十五日提出の絵図で、島原藩の郡方でその写しが作られた
が、まだその現存を確認できない。
五 金井俊行の「前山破裂当時之図」(「島原市街被害之図」)
は島原藩が一七九二年九月二十五日に提出した絵図の写し
である可能性がある。
出典 新収日本地震史料 補遺 別巻
ページ 225
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
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版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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