[未校訂](
注、本書は昭和五九・六〇年度科学研究費補助金(一
般研究C)の研究成果報告書で研究代表者は野口喜
久雄(昭和五九年度)、小野菊雄(昭和六〇年度)で
ある。島原大変の際に書かれた多くの絵図に関する
研究で興味あるもので参考になる。そのうちの一部
の結論のみを掲載する
)
一 島原藩が幕府へ提出した絵図は麁絵図もふくめて三種類
六枚あった。
二 長崎県立島原高校蔵「島原大変大地図」と島原市本光寺
所蔵「寛政四年大震図」は一セットの絵図で一七九二年六
月三日に島原藩が江戸幕府へ提出したものである。
三 島原市本光寺所蔵「甲第図」は一七九二年五月十八日提
出の麁絵図もしくは麁絵図の写しである可能性がある。
四 最終的な島原藩の幕府への報告図は、一七九二年九月二
十五日提出の絵図で、島原藩の郡方でその写しが作られた
が、まだその現存を確認できない。
五 金井俊行の「前山破裂当時之図」(「島原市街被害之図」)
は島原藩が一七九二年九月二十五日に提出した絵図の写し
である可能性がある。