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項目 内容
ID J2300209
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1707/10/28
和暦 宝永四年十月四日
綱文 宝永四年十月四日(一七〇七・一〇・二八)〔東海以西至九州〕
書名 〔北藤録〕「伊予史談会双書 第六集」S57・11・13加藤泰衑編伊予史談会発行
本文
[未校訂](泰恒之伝)
以上
伊予国大洲城本丸乾之方天守台石垣折廻壱箇所、辰之方多門
下石垣折廻壱箇所、巳之方二之門台石垣壱箇所、同所内石垣
壱箇所、二丸亥之方櫓多門下石垣壱箇所、同所石垣折廻壱箇
所、乾之方石垣折廻壱箇所、西之方石垣壱ケ所、申之方櫓下
石垣折廻壱箇所、埋門台石垣壱箇所、寅之方石垣壱箇所、三
丸子之方石垣壱箇所、乾之方堀際石垣壱箇所、午之方惣門台
石垣壱箇所、辰之方外堀際石垣弐箇所、或沈或孕崩候付而築
直度旨、絵図朱引之通得其意候、以連々如元可有修補候 恐
々謹言
宝永四亥十一月廿六日
井上河内守 正岑判
大久保加賀守 忠増判
秋元但馬守 喬朝判
土屋相模守 政直判
加藤遠江守殿
以上
伊予国大洲之城本丸子之方多門下石垣折廻壱箇所、寅之方多
門下石垣折廻壱箇所、申之方多門下石垣折廻壱箇所、二丸辰
之方堀際石垣壱箇所、酉之方多門下石垣壱箇所、亥之方塀下
石垣壱箇所、三之丸辰之方堀際石垣壱箇所、巳之方堀際石垣
壱箇所、午之方惣門台石垣折廻壱箇所、或崩或孕或沈候付而
築直度之由、絵図・書付之通得其意候、以連々如元可有修補
候 恐々謹言
宝永五子十月晦日
井上河内守 正岑判
大久保加賀守 忠増判
秋元但馬守 喬朝判
土屋相模守 政直判
加藤遠江守殿
出典 新収日本地震史料 補遺 別巻
ページ 214
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 愛媛
市区町村 大洲【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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