Logo地震史料集テキストデータベース

西暦、綱文、書名から同じものの一覧にリンクします。

前IDの記事 次IDの記事

項目 内容
ID J2300195
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1707/10/28
和暦 宝永四年十月四日
綱文 宝永四年十月四日(一七〇七・一〇・二八)〔東海以西至九州〕
書名 〔愛媛県編年史 第七〕S47・7・30愛媛県史編纂委員会編監修竹内理三 愛媛県発行
本文
[未校訂]一〇月四日 伊予国一帯大地震、各地に被害が出る
(垂憲録拾遺)
十月四日(宝永四年)八時より同六日迄関西大地震、勢州紀州土州別て高
汐上る、道後温泉没、依之於湯神社御祈禱あり、翌年四月朔
日より湯出る、此時湯神社へ木千本植る、但温泉没して不出
節、菅沼茂左衛門へ湯月八幡宮の異夢(イ霊)有之、翌年四月より湯
涌出る事を知て社人へ兼て此事を語り置しが、其言少も不違
由也録者云、本藩譜によれば湯の再び涌出しは閏正月廿日とあり、何れか是ならん今是を詳にする能はず
(加藤家年譜)上 泰恒
一十月四日、御在所大地震、御城内石垣所々破損
(増補御年譜微考)下
宝永四年十一(十)月四日未刻大地震、未中刻ヨリ高潮馬場前迄上
ル、御両殿様共鈴木仲右衛門宅へ御避被遊、御浜女中ハ松浦
権左衛門山屋敷へ立除、御城女中ハ追手的場迄参、御隠居様
ハ仲右衛門宅へ御一宿ニ付女中不残仲右衛門宅へ参、戌刻宗
昭様ハ神尾帯刀宅へ被為入御一宿、御城女中帯刀宅へ参、戌
刻江戸へ注進御状箱差立足軽持参、長浜ヨリ借切船、室ヨリ
中早、大坂ヨリ四日限雇
出典 新収日本地震史料 補遺 別巻
ページ 211
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 愛媛
市区町村 松山【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

IIIF Curation Viewerで開く
地震研究所特別資料データベースのコレクションで見る

検索時間: 0.001秒