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項目 内容
ID J2300188
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1707/10/28
和暦 宝永四年十月四日
綱文 宝永四年十月四日(一七〇七・一〇・二八)〔東海以西至九州〕
書名 〔急変之部〕○山口県岩国岩国徴古館
本文
[未校訂]地震之部
宝永四年十月四日
一今昼八時分甚地震仕候
殿様馬場江被遊御退候御供方御先五人其外例之通
蓮得院様ニは、仙鳥御屋形御退被遊候御駕廻し四人差出
候、此外は御裏御番衆ニ而相済候
一右地震ニ付御老中中老其外諸士寺社家等為伺御機嫌出仕御
老中中老方御勝手御裏江も被罷通候、左候而老中方ハ直様
馬場被相越詰居被申候
但詣士分七百売(ママ)は相対退去也
一右ニ付於御書院妙福寺御座之間御屋形馬場ニ而□□三太夫
ゟ白山宮御祈禱被仰付成就之上御札守御洗守等馬場江差上
候、妙福寺江軽キ馳走物差出候、相伴伽衆勤之三太夫ハ早
ク罷下馳走物不出候
一右ニ付御館廻差而之損所無之大手之塀なと少々白土落御蔵
其外為差損し無之、尤御家中蔵塀なと少々損し所有之候得
共、是以差而之事ニ而は無之候、暮時分迄も折々地震仕候

一殿様今晩馬場御茶屋御止宿被遊候、諸支配左
一御近習当番加番共ニ相詰候事
奥番頭 小姓衆 伽衆 御勝手 御納戸
但御勝手方存知也御勝手小人も相詰候
一御手廻之面々御館馬場両所江分り無歎如相詰候事
一記録方一人御右筆方一人陣僧方一人相詰候
但御館記録所ニも此面々一人充相詰候、夜中は陣僧
方御引申候
一表方ハ徒方五人相詰候事
但昼之中は御供方之広間方相詰候得共夜中ハ御徒方
斗ニ而相済候
一表小人相当ニ相詰させ候
一老中方暮過迄馬場被相詰候、地震も静り候ニ付夜ニ入
下宿有之候
一蓮得院様御屋形被遊御止宿候、直宿番人等御裏衆相詰候、
御表方ゟ不及支配候
但御屋形不寝等之儀御裏方存知
一右馬場御屋形両所ニ
御母子様御止宿ニ付押等之儀如左
一土手外馬場通河原ニ不寝押三ケ所鉄炮方
一上御土居角御作事角鍛冶や角的場角四ケ所不寝番鉄炮

但此番人共替なく御屋形江廻りを相廻り仕らせ候之

右御蔵元申達候
一馬場内御門番所ニ不寝番弐人馬場末ニ弐人御的場之方
ニ弐人いつれも小人方ゟ出之夜中替なく相廻り申付候

但馬場下之門御馬屋請之分は夜ニ入候而は〆させ、
上之御門一所ゟ出入有之事
一横山錦見河西、火用心旁之為打廻り跏等御蔵元より沙汰有
之由候事
一御母子様共ニ外御止宿被遊候付御館御本門往来夜中は札ニ
而出入仕候事
但入候ニは誰々と御門番江答出候時は札ニ而出候也
札は御納戸方ゟ出候諸事御旅御留守之時之通相伺候事
一御門江札究として御弓方一人御蔵元江申達差出候、此
者江書付を以縮り之儀申付候事
一札なしニ御門出入之衆
老中方 中老方 同嫡□隠居
御裏両人 記録方 御納戸
目付
御裏
下目付共
裏刺(判カ)
一北ノ御門ゟ御裏女中衆抔御屋形江出入御用物女中衆夜
之諸道具抔運ひなと数々候共時々札を受取候様ニ有之
而は御用窺申之由御裏方ゟ被申分ニ付境源太兵衛、杳
脚惣兵衛なとへ相談之上北ノ御門江下目付壱人検使と
して差出置、右御急用物等出入申付候
一地震夜中も少々充有之事
十月五日
一昨日地震ニ付萩江飛脚今昼出足差下候
一御母子様共今晩も御屋形馬場ニ御止宿之事諸支配昨日之通

同六日
一今日も昼夜共地震少々充致し候
御母子様共今日も御退屋御滞留也
十月七日
一今日は地震間遠ニ而大方静り候様子ニ付夜中馬場ゟ御帰殿
被遊候
蓮得院様ニも御屋形ゟ今晩御戻被遊候、御供方御駕廻之四
人御道具持一人支配候様ニとの儀ニ付小人方江申付候、右
御戻之儀今晩迄も相知不申に付而河原其外馬場押之者此中
之通被差出候得と、御蔵元申達し御本門御弓方ハ御帰殿已
後引せ札をも直様御勝手戻させ万々御目□ニ相成申候
一御母子様御戻ニ付而老中方出仕御勝手御裏被罷出候事
出典 新収日本地震史料 補遺 別巻
ページ 207
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 山口
市区町村 岩国【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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