[未校訂]他方、地震については寛永元年(一六二四)・慶安二年(一六
四九)・宝永四年(一七〇七)の広島地方の大地震が記録され
ている「自得公済美録」巻十六、「玄徳公済美録」巻二十、「顕妙公済美録」巻三十七。海田市について
は十月四日の九時(午前二時)大地震がおこり、地ひびきや
地割れで諸所が損じ、同日の夕方からは大潮が満ちて一昼夜
に干満が七度に及んだと伝えている「海田市旧記」。おそらく津波
に類するものであったかと考えられる。したがって海田市に
隣接し海に面するところの多かった船越村の被害も甚大で、
長右衛門新開(高二斗六升二合)は土手が切れて「潮入皆済
無免」とされ、いわゆる秋免になっている「同年免状」(船越・竹内家文書)。た
だし、この潮入の被害については同年八月十九日、九月十二
日と二回におよぶ暴風雨・洪水・高潮による被害が領内一帯
にあったとされている「顕妙公済美録」巻三十六下。あるいは台風による
ものであったかも知れない。