[未校訂]二見町では、江村地下に次の「宝永四年十月四日、大地震・
津波損毛之覚」があり、
一新田大堤 六十間計 損毛仕候
一塩浜大堤 五十間計 切レ申候
一北ノ浜湊口之堤 五十間計 〃
右之通地震にては別条無之候
一鮫沖 畠方 二町二、三段不作仕候
一垢離場より之通路 一町余損申候
此所山際に畠二、三反御座候、右之畠共ニ潰申候
一新田之内畠方二町余不作仕候
と報告している。
又、三津村では、東山々麓に神宮祀官関係の設立した古寺
院、東光山常泉寺が、地震による裏山の土砂崩れで倒壊し埋
まる。
又、この地震によって江川の川口の様相が変化したとされ
る。江村の文化一一年の沖浜新田開発の文書によると、「江
川の内、折々変化致し、殊に宝永年中、津浪の頃より、川口
に大洲附き、四十年程前松下村より松を植えだし候につき、
当村より松下村に相断じ候てその余は植出致さず候」と載せ
ている。