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項目 内容
ID J2300153
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1707/10/28
和暦 宝永四年十月四日
綱文 宝永四年十月四日(一七〇七・一〇・二八)〔東海以西至九州〕
書名 〔羽島徳太郎氏収集文書〕○三重県二見町
本文
[未校訂]二見町では、江村地下に次の「宝永四年十月四日、大地震・
津波損毛之覚」があり、
一新田大堤 六十間計 損毛仕候
一塩浜大堤 五十間計 切レ申候
一北ノ浜湊口之堤 五十間計 〃
右之通地震にては別条無之候
一鮫沖 畠方 二町二、三段不作仕候
一垢離場より之通路 一町余損申候
此所山際に畠二、三反御座候、右之畠共ニ潰申候
一新田之内畠方二町余不作仕候
と報告している。
又、三津村では、東山々麓に神宮祀官関係の設立した古寺
院、東光山常泉寺が、地震による裏山の土砂崩れで倒壊し埋
まる。
又、この地震によって江川の川口の様相が変化したとされ
る。江村の文化一一年の沖浜新田開発の文書によると、「江
川の内、折々変化致し、殊に宝永年中、津浪の頃より、川口
に大洲附き、四十年程前松下村より松を植えだし候につき、
当村より松下村に相断じ候てその余は植出致さず候」と載せ
ている。
出典 新収日本地震史料 補遺 別巻
ページ 178
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 三重
市区町村 二見【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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