[未校訂](文政十三年十二月二十日の条に)
月所樵客著隔搔録中に、宝永四年の吉田師職田辺安豊が詠ぜ
し長歌の概略を引いて云う、宝永四年十月四日、地震う云
々。十一月二十二日昏刻、震のおこること五十余次、二十三
日巳刻に大火あり、黒煙は[蕩起|とうき]し地は鳴動し、酉刻に雷電は
迅速にして、戌刻に火は[焰々|えんえん]として火丸しきりに空中に飛
ぶ。二十四日巳刻、煙霧は四塞し、戌刻に大いに震う。二十
五日、晴、午陰。二十六日、西風あり、雲は散じ山は静か。
二十七日は静穏。晦の戌刻、山また鳴動し、火丸は[迸|ほう]発す。
十二月朔、晴、無事。三日、夜陰る。四日、岳雪あり、巳刻
に地震い夜分にいたるも止まず、火丸迸発す。五日、南風あ
り、申刻に煙消え山静か。六日、七日、晴。八日、地しばし
ば震い、夜半にもっとも大、火丸もまた盛んに発す。九日、
暁寅刻に始めて止む。駿の東郡に新山を出だすという。