[未校訂]一元禄十六年癸未大地震があった。海嘯を起したので、内宮
社の境内は大に欠没した(小田井記)
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内宮社は古は其境内も甚だ広く三万七千余坪と称せられて居
たのが漸次波の為に欠没せられ、文禄慶長の頃には四千百五
十坪となり、元禄十六癸未年には大震災があって高濤境内を
欠没し社殿を東方に移すこと百八十五間、同十七年再び東に
移すこと廿八間、享保四己亥年には又東に遷すこと十二間、
同七壬寅年には又東に移すこと十五間、斯くの如く社殿は段
々東に遷され境内は狭められて行った。
次に大野町字砂子内宮下及び金比羅下海岸の変遷は更に驚く
べきものがある。
内宮社は古は其境内も甚だ広く三万七千余坪と称せられて居
たのが澌次波の為に欠没せられ、文禄慶長の頃には四千百五
十坪となり、元禄十六癸未年には大震災があって高濤境内を
欠没し社殿を東方に移すこと百八十五間、同十七年再び東に
移すこと廿八間