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項目 内容
ID J2300054
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1703/12/31
和暦 元禄十六年十一月二十三日
綱文 元禄十六年十一月二十三日(一七〇三・一二・三一)〔関東〕
書名 〔大木弘方家古記録〕八日市場市市史編さん室 依知川氏提供
本文
[未校訂]この記録は、昭和四十六年六月に現在の野栄町栢田の伊藤弥
三郎氏が「栢田の歴史」をまとめるにあたり、同町堀川(江
戸時代には、堀川村・東)の大木弘家(屋号・北古屋)にあ
ったものを書写したものという。大木家は、代々名主を勤め
た家柄であるという、今回、この文書の確認は出来なかった
が、「栢田の歴史」に掲載されているものを記してみる。
元禄十六年の大津波(百十三代東山天皇、二百六十七年
前)は、十月十二日(陰暦)之夜九ツ頃にて、昼七ツ頃よ
り納屋の井戸水底干にして、少しも之無、堀川の浜辺にて
は大いに怪しみ、不思議なり迚騒ぎ居る中、海の浪高まり
候に付き、岡に縁故ある者は逃去り候、故に堀川村には水
死人は百人斗りの由に候へども、此の時、津波の為水死数
千人にて木戸(注・現在の光町木戸)方面より吉崎(注・
現在の八日地場市吉崎)辺迄にて水死人、凡二千人余も有
之候由にて所々に二百人、又は三百人宛の水死者の供養
塔、或は埋葬の塚有之候、此の時の津波は、飯倉(注・現
在の八日市場市飯倉)の砂子坂(今の九十九里ホームの
坂)迄、大浪押上げ候由にて古来稀なる大津浪に有之候、
心得の為め見聞のまま書記申候
享和三亥年正月五日
北古屋内 養元 六十二才記之
以上の内容である。八日市場市の吉崎にも津浪の伝承がある
が、この記録に見られる「供養塚」「供養塔」などは現在発
見されていない。
出典 新収日本地震史料 補遺 別巻
ページ 103
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 千葉
市区町村 八日市場【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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